2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

賞罰はどの程度有効か

良いことをしたら報酬をあげて、悪いことをしたら罰を与えるというシンプルな発想があります。 しかし、それはあまり有効な方法ではないのではないかと考えています。 ほとんどの人が賞罰は効果があると信じていますし、大人でも子どもでも賞罰の原理が使わ…

今を肯定できないから未来を語る

未来のことは考えるだけ時間のムダなのではないかと考えています。 未来や将来のことを考えることは良いことのように思えますが、意外とただの逃げ道として考えてしまいがちなところがあるので、気をつけています。 人間は未来は今よりも未来の方が状況が良…

すぐ落ちる学習

学習にも色々な種類がありますが、勉強の効果が続く期間という視点で見ることができます。 短い期間で効果がありすぐに落ちる学習と、長い期間をかけて培っていき人生の長い期間で効果を持続する学習です。 すぐに落ちる学習の一つの例としてはペーパーテス…

読むより書く方がラク

毎日ブログを書いて感じたのは、文章を読むよりも書く方がラクだということです。 たしかに毎日数十分時間を使っているのでその分の時間はなくなっているのでしょうが、毎日何かの文章を読むという習慣をつけることに比べたらそこまで辛くはないです。 受け…

従順さとマルバツ思考を手放す

勉強は辛く苦しいものだと思われていますが、もし勉強そのものが楽しくなるように変えることができるならば、それが私のやりたいことであり世の中に与えられるインパクトだと考えています。 普段私たちが使う「勉強」という言葉の中に含まれている、学ぶ楽し…

勉強を否定しない

勉強にまつわる既存のシステムは改良したり削除していくべきところがあるかもしれませんが、勉強自体を否定する姿勢は取らないようにしています。 常識的に勉強だと捉えられているものは、ごく限られたローカルルールの中での認識だと悟る必要があります。 …

体調管理のためにコストをかける

仕事が忙しくなる時期は、ネットカフェやホテルのデイユースも活用して休息を意識的に取るようにしています。 メンタルケアも含め、体調管理のために時間的にも経済的にもコストをかけた方がいいのではないかと思っています。 一見、休息のために数千円かけ…

教育と勉強を分けて考える

教育という言葉自体を再定義しなくてはいけないのではないかと考えています。 教育というとまず勉強というものがあって、勉強とはテストの点数で評価されるものであるという考えが根強いかもしれません。 そうではなく、ひとことで言うなら「将来役に立つこ…

従順さという規制で間口を狭めている

当たり前と思われている勉強のスタイルが、非常に視野の狭いものになってしまっているのではないかと感じることがあります。 例えば静かにイスに座って先生の話を聞くことが勉強の最もスタンダードな方法だという固定観念があります。 その狭い基準に適合し…

ガムやアメを止めさせる

ルールや上下関係を作ることではなく、個別対応することで解決するのが教育的に意味があることだと考えています。 具体的な例として、大学の教授が講義中に生徒がガムやアメなどを食べるのをどのように止めさせるかということを考えてみたいと思います。 一…

勉強も競争から共創へとシフトする

競争から共創へ、という言葉を聞くことがあります。 競争とはいわばゼロサムゲームで、合計100のポイントを80:20であったり100:0であったりといったように奪い合うという考えです。 そうではなく、70:70とか120:120というようなお互いに良いところを交換して…

教育は誰もが経験しているからこそ難しい

一度刷り込まれたものを忘れるというのは難しいものです。 教育に関しては、親が自分の受けた教育を基準に語ることが多々あります。時代は大きく変わっているにもかかわらず、教育においては30年前の常識が通っているという側面があります。 教育以外の分野…

生きているだけで100点満点

明石家さんまの言葉にこのようなものがあります。 人間生まれてきた時は裸。死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか。 勉強ができなくて、スポーツもできなくて、やりたいことがなかったらゼロだと考えてしまいがちです。 そんなことはなく、生きているだ…

公平さで解決したフリをする

客観的な基準を設けることで、正当な評価ができるのでしょうか。 がんばったのを評価して欲しい、というポジティブなエネルギーや、なぜ自分が他人よりも評価されていないのかという不満を抑え込むために公平で客観的な基準を設定するのかもしれません。 し…

コミュニケーションで解決できないものはどうする

コミュニケーションの重要性は誰もが疑うことがありません。ただし、コミュニケーションスキルを高めることが万能でもないと思う時もあります。 たとえば、相手の機嫌が悪すぎて話し合いにすらならない時や物理的に相手とコミュニケーションが取ることができ…

勝つと思うな

結果より過程が大事だという意見があるかと思えば、結果が全てだという意見もあります。 古い歌にこんなフレーズがあったのを思い出しました。 勝つと思うな 思えば負けよ 勝とうという強い気持ちが大切だという話もよく聞きますが、この歌詞では勝つと思っ…

どのくらい深く科目の勉強をすればよいのか

今まであった何かを削除することは難しいものです。最近、ある科目のある単元が必要ないのではないのか、という話題でネットの一部が盛り上がっているようです。 たとえば数学の科目の内容でいうと、教科書レベルの基本的な定義や、概念の意義が理解できれば…

反論することが勉強

Quoraの記事でとても興味深いものがありました。 成績について不満があり、何を直せば上がるのかを教科担任の先生に聞いたところ、忙しいから一週間後でいい?と言われました。 https://jp.quora.com/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%A7%E3%81%99-%E6%88%90%E7%B8%…

それでも数字が気になるならそれもいい

お金のことやペーパーテストの成績など数字を気にしない方が良いと考えていても、どうしても気になってしまうこともあると思います。 強迫観念になってますます気になって悩むようでは本末転倒です。「まぁいいんじゃないか」というくらい軽い考えで良いのだ…

成功から超然へ

成功とか目標達成という考え方になんとなく違和感を感じるようになりました。 数字や成果を求めることがあまりカッコイイことだとは思えません。自分がやりたいと思うことをやるのが一番で、そのやりたい事とは何なのかを追求する方向に考えが向いています。…

機嫌が悪いことを他人にうまく伝える

コミュニケーションの一部として、自分の気持ちを素直に伝えるというのは大切なことです。 誰しも機嫌が良くなかったり、メンタル的に調子が良くないときがあります。だからといって仕事や活動のクオリティを下げたくないという気持ちを抱えながら苦しんでい…

高圧的でもなく、同レベルの友達でもない関係を作る

指示命令や管理をするタテの関係は良くないと考えた結果、ただの同レベルの友達としての付き合いをしてしまうことがあると思います。本来あるべきは高圧的でも同レベルでもない、自他分離のできた状態ではないかと考えています。 「少し若い大人」としての生…

お金があるから使うのか、無くても使うのか

何にどれくらいお金を使うかは、人それぞれ考え方が違って面白いものです。 実際にその人がいくら持っているかではなく、心のあり方や思考によって使う使わないが決まっているのではないかと思っています。 思い出すのはビートたけしが語る、お母さん(北野さ…

メディアへの対応を学びました

ローカルニュースになる事案に巻き込まれて、少しマスメディアと接触する機会がありました。 今回は大きな影響はありませんが、これから起こる良いことにしても悪いことにしても、マスメディアへの対応もよく考えていかなければならないと感じました。 すべ…

自分の能力の高さを認める

自分の良いところも悪いところも認められるのが自己肯定感です。自分の良いところを認めるのも大きなメリットがあります。 鼻につく言い方になってはいけないという心のブレーキから、能力の高い人ほど自分の能力を見せない傾向があると思います。 たとえば…

新しい教育で新しいセグメントを開拓する

「塾は成績を上げなければならない」という常識は世間も塾業界も抱えているいわば固定観念なのかもしれません。 少し深く考察すると、成績を上げたいと思う生徒・保護者が塾に来るから、だからこそ成績を上げなければならないという構造があります。 逆に言…

集客する段階を経て集客しないビジネスへ

押しつけがましい営業、押しの強い広告っぽい広告は敬遠されるようになってきています。 サービスやプロダクトが相手にとってどれだけ良いものかをアピールすることではなく、自分がどれくらい好きでそれを売っているのかが重要なのだと思います。 お客様は…

勉強は「評価される」から「評価する」へ

評価基準を他人が決め、それを満たすように自分が勉強するということではなく、自分が自分を評価する側に回るように方向転換していく方が良いのではないかと考えています。 他人が決めてくれたレールを走るのは、考える必要がないのである意味でラクなのかも…

謙遜と自己評価の共存

自己評価に関して、自分で自分のポジティブな評価を口にするのはためらわれることがあります。 謙遜という日本人の慣習は残しつつも、より正確な自己評価のスキルを磨くにはどうしたらよいでしょうか。 まずはレトリックの問題ではなく、内容の問題として考…

「自主的にやれ」という矛盾

アクティブラーニングという言葉には少し食傷気味になっている面もありますが、その原因の一つに自主性を強制するという矛盾した場面が見られることが挙げられます。 つまり、「自主的にやれ」という命令自体が自主的でないという話です。 指示や命令という…