公平さで解決したフリをする

客観的な基準を設けることで、正当な評価ができるのでしょうか。

がんばったのを評価して欲しい、というポジティブなエネルギーや、なぜ自分が他人よりも評価されていないのかという不満を抑え込むために公平で客観的な基準を設定するのかもしれません。

しかしそれは根本的な解決をしていないのではないかと思います。対話をする時間などのコストが足りないのでシステマチックに対処しているだけのようにも見えます。

たとえば、ペーパーテストは一つの答えを正解と設定して、誰が見てもゆらぎがないように公平に作られています。

もっと自分を評価して欲しいという人には、一回きりのテストで評価するよりも、どのようにがんばったのか対話の中から探し出していく方が正確に評価できるはずです。

記述式の試験は公平に思えないかもしれません。しかし採点して終わり、ではなく採点したあとにも抗議や主張する個別対話の段階も設定することで、より納得感のある、受けるだけで身になるテストとなり得ると思います。

公平さで解決しようととしていることのほとんどは、個別対話で解決できると考えています。そのために十分なリソースを確保する必要があるかもしれません。