従順さとマルバツ思考を手放す
勉強は辛く苦しいものだと思われていますが、もし勉強そのものが楽しくなるように変えることができるならば、それが私のやりたいことであり世の中に与えられるインパクトだと考えています。
普段私たちが使う「勉強」という言葉の中に含まれている、学ぶ楽しさを阻害する成分を考えてみました。
おおまかに言って2つの問題点があります。従順さを求められることと、マルバツ思考です。
従順さ
1つは勉強を強制されたり、言われたことを従順にこなすといった視野の狭い基準です。スマホであろうとゲームであろうと強制されれば嫌いになるのですから、楽しく勉強することを阻害する要素になります。
指示通り従順に行動することはこれからの将来では重要視されず、むしろマニュアル人間といわれる可能性もあります。
マルバツ思考
もう一つの阻害する要素は勉強の途中の過程ではなく、マルかバツかの結果だけを評価することです。
考えるのではなく、ただ決まった答えを覚える作業に終始する勉強ではつまらないものです。もちろん勉強の中には必ず暗記も含まれますし、ペーパーテストに関しても上手に活用する分にはいいのですが、どうしても考えずに覚えることで点数を上げるという流れになりがちです。
さらに、何か一つが正解でそれ以外は不正解というマルバツ思考は、現実社会に即していないと思われます。生きていく上では正解の無い問いの連続で、それらに向き合う途中の過程が重要です。
自由と対話に変える。
「従順さとマルバツ思考」という楽しさを阻害する要素を、「自由と対話」に置き換えていくと楽しく勉強できるようになるのではないかと考えています。
自由
自分でやろうと思ったことは楽しくできるものです。目標設定や方法を自分で選択したり工夫することで、充実感につながります。
予測できない未来においては、誰も試していないことをやってみるという創造性が必要です。失敗しない方法ではなく、いろいろな視点で試してみることのを学ぶことは重要ですし、勉強自体を楽しくさせます。
対話
たった1つの正解があるのではなく、あくまでも自分と他人との間での納得できる答え(納得解)を目指して対話することです。
納得解を探していく上では他者の視点が必要であり、コミュニケーションが必要になります。適切な関わり方でコミュニケーションを取ることは人間にとって必要なことであり楽しいことでもあります。
どのようにして変えていくか
勉強が楽しいというのは、大げさに言うと人生が変わる体験になり得ると思っています。
辛い苦しい勉強から楽しい勉強へと変えるには、いかに「従順さとマルバツ思考」から「自由と対話」へと変化させていけるかがポイントになってきます。
なおかつ、いまの日本の教育システムとも調和したサービスを作っていけたらと思っています。