2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ゆるさと対話は表裏一体

一般的に言われている「厳しい」というのは手抜きの対応であることが多いように感じています。 厳しい=一律の禁止 「〜してはダメ」と一律に禁止することを厳しいと表現することがあります。これは禁止する側からすると非常にラクです。いちいち理由を説明…

どこまで理解させればよいか

講師は、生徒によって理解力が違うということを認める必要があります。生まれつきであったり、それまでの経験であったりで違いが出てきたとしてもあまり深追いする必要はありません。 他人と比べず、個人個人ががそれぞれのペースで成長し、学習が促進される…

クレイジー・ラブ

今日は井上陽水の『クレイジー・ラブ』を聴いていました。これはフィンランドファンにとってバイブル的な映画、かもめ食堂のエンディングテーマです。 その中で気になったフレーズがありました。 私 ひとりが幸福を 胸に飾るだけなの 直観的にすごく共感しま…

感情は全てを上回る

勉強は大まかに言って「覚える」「考える」「感じる」の3つの要素があります。この中でも最も重要でありながら、ないがしろにされているのが「感じる」という要素です。 感じる、というのは感情的に楽しいとか興味深くて面白いとか感じることです。学習指導…

課題意識を根付かさせる

勉強する時に自分で課題設定する意義は、自立を促すことです。言われたからやるという習慣から脱却して、自分から課題を見つけることで自立する姿勢が身につきます。 課題設定は「何をやるか」だけでなく「なぜこれをやるか」まで考えてもらいます。どんな理…

目に見えないものを評価する

授業において自己評価を引き出すことがなぜ重要かというと、思考や感情など自己評価以外では表面化しないことがあるからです。 成績、つまりマルバツや点数という目に見えるものを評価するのであれば、コンピュータに任せればよいのではないでしょうか。 考…

フィードバックは感想文ではなく観察記録である

フィードバックという言葉自体がいろいろな解釈をされて使われています。極端に言えば、フィードバックとは観察記録のようなものだといえます。 話すことに夢中にならない 塾講師含め多くの教える立場の人が陥りがちなことですが、フィードバックにおいても…

三越日本橋のコンシェルジュサービスは、間接的なICT化だ

新しい三越日本橋では、コンシェルジュサービスに力を入れていくようです。 www.yomiuri.co.jp これは大人世代のICT化だな、と感じてハッとさせられました。 モノより情報に価値がある デパートに買い物に行くようなデジタル機器を使わない人たちには、ICTと…

弱点から考える必要はあるのか

勉強においても何においても、弱点を見つけてそれを克服していくのが常識だと考えられています。たしかに一理あるような気がしますが、あえてその常識を疑ってみましょう。 弱点を考えると 悪いところを直したい、という風に考えると、悪いところにフォーカ…

少し若いだけの大人

生徒を一人の人間として扱うことを表す言葉として、何がふさわしいかを考えていました。個人を尊重する文化では一人の人間という言葉もしっくりくるのでしょうが、日本においては少し違和感のある言葉です。 最近ふと目に入った「若い大人」という言葉がとて…

継続的アップデートと逆学習

予測不能な世の中で、良いものはどんどん取り入れ新陳代謝していく必要があります。権威や過去の栄光を捨てて、新しいものを試す姿勢を維持するシステムにするにはどうしたらよいでしょうか。 継続的にアップデートする アップデートすること自体をタスクの…

楽しさ、快適さは勉強に必須である

今年の猛暑で学校にエアコンを設置することが検討されています。学習環境において快適さとか楽しさを求めることは優先事項の高いことだと考えています。 楽しさは創造性を生み出す 感情的に楽しいということは、新しいことに挑戦したり創造的な活動の源にな…

意見を押し付けない、でも自分も抑え込まない

コーチング的な関わり方をするにあたっては、まずはじめに「意見を押し付けない」ということを学ぶことが多いと思います。 自分が話すのではなく質問などをして相手の意見を引き出すことも重要ですが、自分を抑え込まないことも重要です。 意見を主張できな…

政治をよくする前に教育の質を高める

失礼な言い方かもしれませんが、幸福度の高い国の政治家たちが質の高い政治家だとはとても思えません。いわゆる普通の政治家で、どこの国も同じようなものです。 違うのは国民がものごとをどう捉えるかと、心の在り方だと思います。悪いことばかりにフォーカ…

指示命令は他の選択肢を殺す

常に意識していないと、気がゆるんだ時などについ自分のエゴで指示を出してしまうものです。 よく気をつけなければいけないのは、一つの指示を出すということは他の選択肢は殺すことと同じだということです。 Aをしろという指示を出すと、次回からBをすると…

数字にこだわらない経営

勉強と同じで、ある程度経営の経験を積むと数字にこだわること自体が虚しいことなのではないかという疑念が生じます。 はじめのうちはお金も含めた数字を最大化しようとするわけです。満足してもらった価値が貨幣に変換されると信じているからです。コストを…

信頼と責任の関係は

なんとなく頭の中にモヤッと頭に浮かんでいることがあり、まだ整理がつかないのですがそのまま書いてみたいと思います。 なにかというと、信頼と責任は反比例するのではないかということです。言い換えると、信頼が低い関係では責任が大きくなり、信頼が高い…

日本の教育システムは組織が多すぎる

日本の学習指導要領は時代の背景や経済界からの要望などが考慮された優れたものだと考えています。しかしながら、学校や塾などの教育現場がそれをうまく実行できているかというと、そうではありません。 現場が変わるまでのプロセス 指導要領が実行されるま…

自他の分離

講師になって最初の課題は「なぜこんな簡単なことがわからないのか」という気持ちとうまく対処することです。 生徒「先生、ここがわかりません!」 講師「あー・・・(こんなこともわからないの)」 生徒「なんでこうなるんですか?」 講師「うーん・・・(簡単…

心に余白を作るためにストレスを減らす

楽しく勉強することが一番効率がいいと考えています。その環境を整えるのが専門家である学校や塾の先生にしかできないことではないでしょうか。 心に余白を作るために、できるだけストレスは少ない方が良いです。どんなに好きなことでも、いつかは辛いことや…

生徒向けの広告を作る

保護者ではなく、生徒自身がスマホで塾を調べてどこの塾へ通うか決めるケースが増えています。 これまで保護者向けのメッセージが前面に出てきているものが多かったですが、少し方向転換していく必要があると思っています。 生徒が見て魅力を感じるメッセー…

他人への厳しさは自分への甘え

厳しさというものを履き違えて、自分の都合の良いように接している場面がよく見受けられます。 厳しいというのは緩みや妥協がないことを指すはずであるのに、単に硬直的なことを厳しいと呼んでいることが多い気がします。 たとえば、体調不良で宿題を提出で…

塾は二極化していくのではないか

なんとなく塾をやっていれば成り立った時代もあったそうですが、今は軒並み生徒減になっているという話を聞きます。 成績のための塾と、成績のためでない塾の二極化がどんどん進んでいくと予想されます。 何となく定期テストや受験対策をしているポリシーの…

勉強はセラピーかもしれない

勉強はお腹を満たすパンではなく、心を満たすセラピーのようなものと考えてみてはどうでしょうか。 かつて日本が貧しかった時は、学問で身を立てて豊かになろうという考えがありました。今でも発展途上国においてはそのような状況だと思われます。 しかし今…

なぜ大人と友達で態度が変わるのか

子どもは、先生や親などいわゆる大人よりも友達の話を信用して聞くことが多いと思います。この違いは何でしょうか。 年齢が近いからということではなく、関わり方が決めているという視点で考えてみます。 中学生同士の会話を聞いていると「マジで?」と聞き…

勉強は権威ではなくコミュニケーション

古い勉強観を変えていくために、今の実態を理解していく必要があります。 我々が当たり前と思っている勉強は「権威型」です。先生が絶対的な正解を持っていて、生徒はそれを受け入れることが勉強だという固定観念を持っています。水が上流から下流へと流れて…

重要な問いかけ「どう思う?」

人は誰しも自分が正しいと思ったことに囚われてしまう傾向があります。 すべての発言は個人の意見であり、一つの正解ではないということを時々忘れてしまいます。しかし正解は本人の中にしかありません。 特に勉強においては正しい一つの方法があると思われ…

数字よりも適正スケールの経営

量より質の時代になってきています。大量生産の安いものでは売れなくなってきて、個性的で価値のあるものが求められています。 組織の在り方や経営に関しても同じではないでしょうか。 ただギラギラして数字を追い求めて利益最大化するのではなく、ビジネス…

わからないと言える関係を作る

大人になったり、先生という立場になったりすると「わからない」と言いづらくなってきます。 しかし人は誰しも知らないことがあるのは当たり前で、それを伝えることこそが大人や先生としての重要な役目ではないでしょうか。 わからないと言える関係を作るた…

理不尽なことに価値を感じる心理

自分で決めさせることを「優しい」とか「甘い」とかとらえる視点もあるかもしれませんが、それは少し違います。反対に「厳しい」ことがなんでも正しいことだというのも違います。 誰かに強制されてやった結果、自分の身になることはよっぽど珍しいケースです…