他人への厳しさは自分への甘え

厳しさというものを履き違えて、自分の都合の良いように接している場面がよく見受けられます。

厳しいというのは緩みや妥協がないことを指すはずであるのに、単に硬直的なことを厳しいと呼んでいることが多い気がします。

たとえば、体調不良で宿題を提出できなかった生徒がいたとしても、成績は一律に減点されます。

別の対応としては、忘れた理由を聞いてそれが十分説得力のあるものであれば猶予を与え、他の生徒にも納得させるという対応もできるかもしれません。

ただし、この方法だと手間はかかります。事前に信頼関係が構築できていなければ、個別の対応は難しいです。

大人になったら言い訳は通用しないという意見もあるでしょうが、その大人の世界は本当に正しいのでしょうか。提出期限に間に合わないことよりも、その後の対応をいかにうまくやるかが重要ではないでしょうか。

いわゆる厳しいと言われる対応には、指導者側がラクをするために一律のルールを適応していることがあります。数値化するのも管理する側にとって手間が少なく都合がよいからという理由が大きいと思われます。

大切なのはたくさん対話して、その人ごとに個別に違った対応することです。これは非常に繊細で気を遣うことではありますが、だからこそ教育に関わる人間の価値が認められるのではないかと思います。