YouTubeをCGM化する

YouTube のユーザーは今もまだ増え続けているようです。ユーザーが増えるにつれ、動画の内容や、発信方法も少し変化してきているなと感じています。

具体的には、動画本体の情報を受け取るだけではなく、コメントで楽しむというような状況が増えているのではないかと感じています。

これはかつてウェブ検索の世界でも同じような事が起こっていました。例えばレストランを探す時を考えると、昔はただお店の住所とか電話番号が載っているそれだけで満足できました。しかしだんだん普及していくにつれて、単なる情報だけではなく、実際行った人がどう感じたのか、という口コミサイトというのが増えてきました。

単純な情報だけでは満足できなくなって、もっとリアルな情報が欲しくなってくるということです。そうなると情報量も増えてくるので、そのサイトのサイトを運営している人だけの力ではコンテンツを作りきれなくなります。そこでユーザーがコンテンツを作ってくる、たとえば口コミを投稿してくれるというような仕組みが必要になってきます。

これはウェブ検索の例ですが同じような事が YouTubeでも起こってきています。ですからこれから YouTubeの動画を投稿するときは、コメントが発生しやすいような仕組みや、動画の内容もコメントが発生しやすい内容にしていく必要があると考えています。

動画を撮るというのは自分が一方的に何か表現することに偏りがちにですが、そうではなくどうやって場を盛り上げてCGM化できるかを意識していくと良いと思っています。

強い主張をしたい時

自分の中で強いメッセージ性や伝えたい想いが溢れてくる時があります。こういう時に過激な表現とか強い表現をするのは相手に伝えるためには逆効果になってしまうことがあります。

そうではなく共感を呼ぶような表現をしていくのが効果的です。どういうことかというと、「〇〇です」という言い切りの形をするのではなく、「私は〇〇だと気付いた」といったような表現をする、ということです。

例えば「これから多様性の時代です」という表現をすると、そんなことは言われなくてもわかっているとか、自分が時代遅れと言われているようだと感じて共感を得られにくいのです。

そうではなく、具体的に「こういうことがあるから多様性の時代なんだと私は気づいた」という表現をしていけば良いです。このような表現であれば、自分も薄々感づいていた、というような共感を元に相手に伝えることができます。

ですから強い主張をしたい時ほど強い言葉を避けて、共感を呼ぶような表現をすることが必要だと考えています。

休息は生活に必要な空白

意識的に休息をとることの必要性を強く感じています。空いた時間を意識せずに放っておくと、穴を埋めるように何かタスクを詰め込んでしまうからです。

そうではなく、意識して「空白」というスケジュールを設定するということが必要だと思っています。脳が何もインプットされない状態を作ることで、エネルギーを充電して次の仕事の活力になっていくからです。

休息を取るためには何時間も予定を開ける必要はなく、数分単位の短い休息も効果的です。スマートウォッチやスマホに呼吸アプリなど入っているのでそういったものを活用していくと良いと思っています。

休息をうまく取れた時には、休息の重要性をしみじみと実感するのですが、少し時間が経つと日々の忙しさに負けてついスキップしてしまいがちです。スケジュール帳に入れたりリマインダーを使って意識的に思い出していくことが必要なのではないかと考えています。

マスコミは悪くない

情報を自分で判断するということは非常に重要です。よくマスコミが良くないという意見があるんですが、そうではなくて自分で判断できるようになるということが重要だと考えています。

どういう媒体であったとしても、情報に対して受け身になるのはあまり良いことではないと考えています。

例えばちょっと話が変わりますが、誰かと誰かが喧嘩していたとします。そういう時は片っぽの意見だけを聞いて判断したりはしないわけです。必ず両方の意見を聞いて状況判断しないと偏った情報で一方的な話になってしまいます。そういう決めつけはあまり良くないということです。

これは例えば政治家とマスコミという関係でも同じです。マスコミの主張することだけ受け取るというのは喧嘩してる二人のうち、片方の意見しか聞かずに相手を責めるようなものです。

マスコミというのはあくまでも片方の意見であってそこをどう判断するかと言うともっと相手の考えも聞かなければいけないし、もっと追加の情報が欲しいということになると思います。

それに加えて今はマスコミの情報だけではなくそれ以外の方法、たとえばインターネットを使うと政治家の会見の内容が直接聞けたり元の映像が残っていたりします。ですから出来る限り元の情報を自分で取りに行くということが重要だと思います。

そしてもしマスコミの情報しか見つからないのは、それは片方の意見しか聞いていないことになるので一旦自分の意見は保留します。

こういった理由でマスコミが悪いというのではなく自分で判断するということを意識していくと良いのではないかと思います。

価格を言い訳にしない

地方では特に値段が高いから買ってもらえないというような声を聞くことがあります。ただこれを都合のいい言い訳として使わないように気をつけたいものです。

疑うべきなのは、本当に値段が高いから買わないのか、ということです。お金がないから買わないのか、それとも気持ちが動かないから買わないのか、その境目をはっきりする必要があります。

なぜそうするかというと自分のサービスの自信の無さを価格のせいにして責任をなすりつけるようなマインドを持たないためです。にお金がないというのは気にしないと値段が高いというの言い訳にしないということが重要だと考えています

個々ののケースでどれぐらいの基準を高いというかは違ってきますが、大体の目安としてその商品の値段が所得の10%を超えているようなものは値段が高いということが言えるかもしれません。

ですから例えば1万円だから高いということではなくて、収入が月10万円の人にとって1万円は高いけれども月の収入が30万の人にとっては1万は比較的高くはないという風に考えることができます。

高いから買ってくれないというそれを言い訳にしないためには、そのターゲット顧客の所得の10%を超えているかどうかというのが一つの基準になると思っています。もし顧客の所得の10%以下の商品で売れないのであれば、その売るものの質が低いもしくは見せ方が悪いなど、そういったところに原因があると考えています。

読解力は落ちているのではなく、抜けている

学生の読解力が落ちているということが話題になることがあります。これに関しては、学生の読解力自体は落ちてないのではないかなという風に現場で見て感じています。

とはいえ読解力が低下しているというデータが出てくるのはなぜかということを考えてみると、読む力が弱くなっているのではなく、そもそも読まないことが多くなっていると感じます。つまり、読めないのではなく、そもそも読んでいないというケースが多いのではないかと思います。

これは単純に学生の質が落ちてるとかそういう話ではないと思っています。この数十年ぐらいで人間の遺伝子が変わるわけではないですし、もともと生まれ持った能力というのはさほど変わっていないはずです。

なぜ読まないようになってしまったのかということを考えると、いろんな学習の環境であったり評価の仕方が関係していると思います。問題の答えなど結果だけを評価して途中のプロセスの評価がおろそかになっているからではないかと考えています。

小さい頃から結果だけ出せばいい、答えだけ出せばいいというシステムに囲まれた結果、途中のプロセスをおろそかにする考え方の癖が付いているのではないかと考えています。

マルバツだけに依存しない評価方法や、他人と比べない関わり方などが大切になってくるのではないかと考えています。大人がそういう環境をつくっていかなければならないのです。

正解にこだわるような学習方法に偏りすぎているものを、少し調整する必要があるのではないかと考えています。

失敗しても大丈夫そうな人

成功するためにはどうしたらいいかと考えることがあると思います。ですがどうやって成功するかというよりも、失敗しても大丈夫そうな人になるということの方が重要な気がしています。

例えば起業したいう人がいるんですが、この人を応援したいと思うのはほんの一握りの人だけです。どういう人が応援したくなる人かというと、「このビジネスが失敗しても、この人ならその先もなんとかなるだろう」と思える人です。

実際に成功するか失敗するかというのは誰にも分からないことです。ですからどれだけ成功する確率が高そうに見えても実際どうなるかわからないのであまり意味がないということです。

そうではなくてこの人だったら失敗しても大丈夫そうだと思える能力を身につける方が重要なのではないかと考えています。

では失敗しても大丈夫そうな人はどういう人かというと、おおざっぱに言うと総合力があるということです。ある分野にのみ偏っていないということです。

もっと具体的にすると、人の話をよく聞くということです。人の話を聞いてそれを自分のものに吸収できる人です。そういう人はおしゃべりでなくても他の人と上手くコミュニケーションを取ることができると思うからです。

失敗しても大丈夫そうな人になっていくということが重要だと考えています。