強制は相手へのあきらめ

相手に何かを強制すること、あるいは正解を先回りして教えることは相手のことをあきらめている気持ちからくるというお話です。

私自身も塾で指導していた時に生徒に対して強制するような関わり方をしていた時期もありました。 今考えれば非常に良くなかったと思っています。

こういうやり方が正しいとかこちらがたくさん情報やノウハウを持っているから指示に従わせるような形で強制するようなやり方をしていた時にもありましたが、今考えると改めて良くないなと思います。

そういう関わり方をした生徒がどうなるかというと、言われたことしかやらなくなります。 言われたことはきっちりやるけれども、言われていないことはやらなくていいんだ、という発想が染み付いていきます。 何かを強制するということは、他のことはやらなくていいと言っているのと同じになってしまう効果があるので、あまり良くないなと今は思っています。

どういう時に強制したり管理したりしようとするのか思い出してみると、その相手の持っている能力を諦めた時に強制しよう管理しようという発想が出てくるんだと思います。

相手にかける期待、これぐらやってもらいたいなというその期待が崩れた時に強制したり管理したりする方向に向かっていきます。 相手には最後まであきらめるなというようなことを言いながらも、自分自身が相手に対してあきらめてしまっているという矛盾を抱えているのです。

ですから大切なことはこちらもあきらめずに見守り続けるということです。 正解を教えたり先回りしたりすることは相手を信頼していないということと同じですから、関わり方としてはこちらがまずあきらめないという姿勢が重要です。 相手にしっかり期待をして信頼関係を作って見守っていくという対応が必要だと思っています。

今日は、相手に強制をするというのは相手へのあきらめであり、見守ることは自分も相手もあきらめないということだ、というお話でした。