不合理を受け入れることが合理的

慣れはおそろしいもので、塾の教室のとなりにコンビニがあってすごく便利なはずなのに、いつからか階段を降りるのすら面倒になってきています。

不便なものを便利にするよりも、不便なものを受け入れる心をトレーニングする方がいいのかもしれないと思いました。

便利で合理的なものを追い求める気持ちはどこまでも止まりません。その一方で生きている限り不合理なことだらけです。苦しいのは嫌ですが病気にはなりますし、死にたくなくても死にますよね。

スマホによって孤独が深まったり注意散漫になったりするという状況から、世の中はスローダウンの流れになっています。

実体験からしても、便利なものを不便なものに置き換えてみても意外と苦しくないと思っています。以前にたとえばスマートウォッチで常にスマホの通知をチェックしていましたが、今はアナログの腕時計をつけています。それによって仕事が停滞したり不都合は発生しませんでした。

不便なものに少しずつ慣れていくのもいいかもしれません。