なんで勉強はこんなにケンカ腰なのか

一般的な学校の勉強を取り巻く環境があまりにもケンカ腰で対立的な雰囲気になっていることは、とても大きな損失だと思っています。

ケンカ腰というのはできない人を笑ったり、こんなことも知らないのかというような姿勢のことです。もっと踏み込むと、合っているか合っていないかという二分法で優劣をつける価値観が良くないのではないかと考えています。

何かを知っていると立場が上だとか、知らないとそれだけで恥ずかしいことだと感じるようになってしまえば、本来の学びの意義が薄れていきます。

どういうことが起こっているか

ケンカ腰の姿勢が何を生み出しているかというと、先生側は完璧に正しい答えを知っていなければいけないという完璧主義で硬直化し、生徒側は先生や学校が出題ミスをすれば揚げ足取りのように厳しく追求するようになっています。

予備校や参考書は「これまでの方法は間違っている」という否定からはじまります。

もし間違いを認めない世界なら

これまでの人間の歴史がすべてケンカ腰の姿勢であったならば今の科学の進歩はなかったということを思い出す必要があります。

例えばかつて地球が回っているとか、人間は猿から進化したという発見は命を危険にさらすほど危険なものでした。すでに決まっていた絶対の正解に背くものだったからです。

ただしそれは科学的なプロセスを経て、徐々に認められていくこととなりました。

今の日本の勉強に対する姿勢は、そのような過去の時代とさほど変わらない姿勢なのではないかと思います。先生が言うから正しく、生徒はそれに従っていれば良いという構造です。

正解はない

実際には先生であろうがどんなに素晴らしい教育機関であろうが、誰も正解を知らないのです。むしろ正解がないことを知っていることが良い先生や良い学校の条件かもしれません。

どっちが合ってるというそれだけで勝ち負けをつけるような姿勢では、ものごとを前に進めることができません。

大事なことは勝ち負けではなく、どうやったらみんながより良い状態になるか、言い換えると全体最適の選択は何なのか、ということです。

ですから、自分が絶対に正しいと言うことでもなく、もちろん相手に絶対正しいことを求めるわけでもなく、お互いが答えを出しながら対話を繰り返していくことでちょっとずつ修正していくという姿勢こそ学ぶべきなのではないかと思っています。