合っている、間違っているという発想を辞める

勉強を楽しくする関わり方の第一歩として、正解か不正解かで判断しないという基本姿勢があります。

人生において正解のある問いはありません。それをわかっていても、教育の場面においてはこれまでの慣習で絶対的な正解があるものとして扱われています。勉強をより生徒の将来生きていく上で役に立つようにするためにも、正解を求めるだけの姿勢を一旦保留することを提案します。

たとえば、本能寺の変が1582年に起こったという知識があります。これまでの考えでは年号を暗記するのが勉強であり、その知識が正解だということになっています。新しい勉強では、「誰も見ていないのに本当に本能寺の変が起こったの?」という疑問を持つのが勉強なのです。

次のような対話が生まれるかもしれません。

なぜその年にそのできごとが起こったと言えるのでしょうか。

それは文献などに書かれて残っているからです。

1つの文献に書かれているだけで信用していいのでしょうか。

やはり複数の文献に書かれている方が説得力があります。

いくら文献があったからといって事実かどうかは確かめようがありませんが、ひとまずそれを暫定的に共通認識としましょう。

このような対話で知識が獲得されていくのが本当の意味での勉強なのだと思います。

実は今ある歴史も学会などで全く同じようなプロセスを経て、教科書に掲載されるようになるのです。

ですから真逆の発想のようで、「本当にそれは正しいのか」と考えることは極めて真っ当な勉強に対する姿勢だということもできます。