合っている間違っているは勉強ではない

問題を解いて、それを丸付けするということが勉強の一番「普通」の方法のように見えます。

一方で、この普通と思っていることが学ぶことを阻害する要因になっていないかという心配があります。マルバツをつけることで一対一対応の答えだけを探すことに終始してしまうという状況をよく見かけます。

求めるべき答えはお互いが納得できる答えであり、人と人との対話が必要です。書いてある答えを無批判に受け入れるのではなく、対話によって納得解に近づけていくのがいま求められる勉強なのではないでしょうか。

問題を解くことだけが勉強ではありません。教科書を読んでなるほどと思うのも勉強です。答え合わせをしない、個人の内面で完結する学びも勉強と捉えてもよいのではないかと思います。

答え合わせをしないと、学んだかどうか視覚化できないという指摘がありますが、外部評価で視覚化することはさほど公平ではありません

現実社会に存在するのはほとんどが正解のない問いです。正解が存在しないという前提のもと、少しでも納得できる解を探そうとすることこそ、勉強をする意義ではないでしょうか。