机に座って書くことだけが勉強ではない

一人で机に向かって書くことだけが勉強ではありません。もちろん勉強の形の一つではありますが、あまりにもこの形式だけに偏っているような気がしています。

本来知識は一人では完結しません。共有できる相手がいてはじめて知識になります。 「リンゴは下に落ちる」ということでさえ、お互いが納得できればこそ知識となることができるのです。

知識が成立するには自分一人で思っているだけではだめで、言葉にして対話することが必要不可欠です。なぜこのような対話のない学びが浸透しているかというと、決められた正解がある勉強をさせられているからです。

これは相手に根拠を示してお互い納得するから正しいと考えるのではなく、「正しいと思うから正しい」という、宗教に近いものです。もちろんこういった信仰による知の獲得も一つの方法ではありますが、科学的思考ではなく信仰であるということは明示されるべきだと思われます。

机でする勉強であっても、対話的に勉強することもできます。たとえば数学のワークをやっていたとしても、なぜこうなるのかと疑問に思って調べたり、質問したりすることで十分対話的な勉強になり得ます。