休校でも勉強する力を「学力」と呼ぶ

学校に通えないことによる学力低下というフレーズがよく聞かれるようになりましたが、これを機会に「学力」という言葉をしっかり考え直した方が良いかもしれません。

学力は知識量ではない

受験への影響やカリキュラムが遅れることに関しては、数年のスパンで考えると不安かもしれませんが、人生の長い期間で考えるとさほど心配する必要はないと思います。

覚える知識量や問題の解き方のような、知識のインプットのことを学力と呼んでいるのであれば、もっと息の長い将来ずっと役立つようなものを学力と呼んだ方がいいのではないかと考えています。

学ぶ方法を学ぶ

特に学校で習うような個々の知識は、その後の人生で役に立つことはあまりありません。その一方で何かを学ぶという姿勢や方法は、予測不能な社会で非常に役立ちます。

まさに今は予測不能な状況の真っ只中で、今までの慣習にとらわれず、知識も行動も常にアップデートしていかなければならない状況です。

知識を学ぶのではなく、「学ぶ方法を学ぶ」のがいまの時代にフィットした学びではないでしょうか。

自立した学力

先生からの指示や講義がなくなると学ぶことができないという事態にもっと危機感を持ってもよいのではないかと思います。

乱暴なことを言うと宿題や管理強制による指導は、指示待ちの生徒を生み出し、学力を奪っている可能性があります。

先生の指示通りでなくていいので、自分で教科書を読んだり検索したり動画で学んだりできることを学力と呼んだ方が良いのではないかと思います。

そのためには従来の教育では当たり前だった上下の関係ではなく、上の人間がいなくても自走できるようなスキルを身につけることが重要です。

それが生徒の将来のためになる教育だと考えたほうがよいのではないでしょうか。