IQからEQと言う前に

これからの時代はEQやSQ、AQ、CQが重要だということが徐々に浸透しはじめていて良いことだと思いますが、根本的なところでは古い時代の考えがしぶとく残っていることに気が付きます。

代表的なものは「〇〇が高ければ素晴らしい」という発想です。「ならば」という条件付きの評価、いわばエリートのためのシステムはもう少し控えても良いと思います。日本の人口構造から見てもエリートだけを育てるのでは持続できず、すべての人がちょっとずつ力を合わせていくことの方が重要です。

条件付きの評価は裏を返して「〇〇が低いならば存在意義がない」というメッセージとして伝わることが多々あります。

ですから、EQ、SQの具体的なことを語る以前に、無条件で存在を承認しているという心のベースをしっかり作ることが重要です。EQが高いことは素晴らしいことですが、もし高くなくてもそれはそれで素晴らしいことだということです。特に相手がいる場合は意識的に伝えていく必要があります。

たとえば親や先生は勉強についてうるさく言いますが、勉強だけが人間のすべてではないことをよく知っています。しかし心の中で思っているだけなので、子どもからすると勉強ができない自分は存在すべてを認められていない、劣った存在だと勘違いしてしまうような悲しい現状も見受けられます。

皮肉なことに、無条件の承認を感じられている人はIQにもEQにも振り回されずに生きていくことができます。その一方で無条件の承認を感じられず、自己を確立できていない人ほどそれらの数値に固執して、失敗すれば自己嫌悪に陥るという負の連鎖に巻き込まれてしまいます。

EQなど具体的な方法論の前に、一人の人間として無条件に承認することが重要なのではないでしょうか。