理解しなくても承認することができる

男女の違い、世代の違いを理解しようと努力して、かえって不自然な態度になってしまうことがあります。もっと自然に、別に理解できなくてもいいという気持ちでいた方が心が軽くなるのではないかと思っています。

相手の立場に立って理解することがすべてだという考えに囚われすぎているのかもしれません。実際には、別のカテゴリに属する人はそのカテゴリの社会でうまくやっているのです。理解しようとすることが余計な手出し口出しになってしまってはお互いが消耗するだけです。

たとえばどんな髪型をしていようと体中ピアスだらけであろうと、本人が好きでやってるんだったらいいじゃないかということです。自分は同じようにやりたいと思わないけど、他人がやるのは構わないという姿勢で十分なのではないでしょうか。

理解して承認することよりも、理解できなくても承認することの方がカバーできる範囲が広いのです。

無理に理解しようとしなくてものではないかと思います。