全員が主役でなくていい

ゆとり教育を揶揄する表現として、「みんな仲良く手をつないでゴール」「劇で全員が主役」といったものがあります。これはゆとり教育の目指したものというよりはむしろ現場が曲解した例かと思います。

ゆとり教育についてはともかくとして、主役が最も良いのだと勘違いしがちですがそういうことではないのだと思います。全員が主役なのではなく、主役でない自分を受け入れることや、周りが主役でない役の存在を認めることが重要なのではないかと考えています。

人はものの見方によって大きな感じ方の差があります。たとえば月にウサギが見える人もいればただの色の違いだという人もいます。

実際に物質的にどうなっているかではなく、自分の視点がどう見るかが全てを決めているのです。

劇でいうとセリフが多い役の方が優れているように感じるかもしれませんが、セリフの多い役も少ない役も、正義も悪もまとめて受け入れていくことこそ必要なことです。

視野の狭い判断基準で優劣をつけるのではなく、今ある状態を受け入れていくことがより良いのではないでしょうか。