友達だから安くして問題

何か仕事を頼まれる時、いわゆる友達価格で安く売ってほしいと言われることがあるようです。

安くして当然という人もいれば、値切りは非常識だという意見もありますが、どちらも納得できる道理はあるのではないかと考えています。

なぜかというと、どの程度貨幣経済に依存しているかという視点を持つことによって、どちらも筋の通った主張だととらえることができるからです。

友達価格の否定

何かの価値はすべて貨幣に換金することができるという、すべて貨幣経済で世界が成り立っているという視点からすると、値段を下げて欲しいという要求は、「あなたのサービスやプロダクトには価値が無い」と言われているのと同じになります。

その視点で行くと、友達価格で安くするのは失礼なことであると言えます。

友達価格の肯定

反対に、世の中には貨幣にならない価値があるという視点からいくと、友達価格で安く売るということは自分も安く買うことができるようになり、お互い交換条件として本当の価値よりも安い価格で売り買いができるようになります。

たとえばある農家が、漁師にイワシを友達価格で安く売ってほしいと要求して、漁師は友達だからということで安く売ったとします。別の機会には漁師が安い価格で白菜を買うことができるようになります。

貨幣というのは、信頼していない人同士でスムーズでやり取りするという重要な役割があります。農家と漁師の場合、本来より安くなった分は、信頼によって埋められたということです。

貨幣という約束なしに価値を交換できるのであれば、ある意味では洗練された近代的な社会だと言うことができるかもしれません。

ミスマッチ

現実の日本社会では農家と漁師のような良い循環を作ることは難しいかもしれません。

もし農家と自動車部品会社の社員の関係だとしたら、農家から安く野菜を買うことができても、逆に自動車部品会社から部品を買うことは無く、不均等な状態になることが考えられます。

そういったミスマッチな状況においては、友達価格が否定されるというのも納得できることです。

貨幣経済の中で生き、友達だから安くしてという要求が好きでないのならば、友達でない顧客をターゲットにできるだけの強い商品力を持つこと、貨幣の価値を理解しない人には売らないという毅然とした態度を保つことが必要なのではないでしょうか。