内面のキャリア形成

キャリア教育が学校でも進められています。主に学歴や職歴といった表面的な話題になりがちですが、その人それぞれの内面におけるキャリア形成も重要だと感じています。

職業やステータス外部的なキャリアです。たとえばどこに進学してどこに就職するかを決め、そこから逆算して今の行動を考えるというのがよくある枠組みです。

外部的なキャリアのデメリットは、それらがなくなったら人間的に何も残らなくなるのではないかという心配があることです。たとえば立派な職業に就いたとしても、辞めてしまえば自分が何者なのかわからなくなるようなケースです。

職業やステータスを捨てられないからいまの仕事を続けるしかない、というような負のループに入る可能性があります。

内面的なキャリアとはどのようなスキルを持っているか、どのような体験が自分の行動原理になっているかなど自分の内側にストックされたキャリアです。

チームワークで自分の役割を理解しているとか、苦手な相手ともコミュニケーションが取れるといった内面的な能力は、職業が変わっても活かされます。

仕事を失ったらどうしよう、というような不安に苛まれずに済むということです。

そういった自分の内側にスキルやキャリアを貯めていくためには、頭で理解するというよりは自分自身で肌感覚を得ることが重要です。どんなに明らかなことでも自分で体験してみるのとそうでないのとでは納得感が違います。

様々な体験を準備することが教育の大きな役割なのかもしれません。

教員の質は低くない

今ある教育に対しての不満は非常に高まっていると思います。教員の学校の先生の質が低いのが問題だという意見がありますが、それには疑問を感じています。特に地方では教員以上の能力の高い人材を集めることは難しいと考えています。

例えば県庁や市役所や地銀で働いてる人を見た時に、教員の方が質が低いようには見えません。そういった公務員とか地方の有名企業と同じかむしろ教員の方が少しレベルが高いこともあると思います。

ですから地方においては今いる教員以上のレベルの高い人材を集めるということこれそもそも不可能なんじゃないかと考えています。

そして問題は教員の質では無いのではないかということです。現場の教育に不満があるから、この不満の原因は教員だという発想もあると思いますが、そこまでシンプルな状況ではないと思っています。

教員の質を上げれば教育の質も上がるというような単純な構造にはなっていないということです。教員も一生懸命頑張っているし、生徒も保護者も一生懸命頑張っています。それにもかかわらず不満が出てくるというのが今の教育の現状だと考えています。

ですから単純に教員の質を高めるという理想を求めるのではなく、別の角度からアプローチしていく必要があると考えています。

利益より持続可能性

ビジネスにおいて、経済的な利益よりも持続していくというような運営の仕方がいいという考えは以前からありました。ただその方向性がより強くなってきたなと感じています。

つまり利益を追い求めるよりも、持続可能性を求める方が時代に合っているというような状況になってきました。

自分のビジョンにあった活動することは、望ましいというよりももはや必須条件になっているような感覚もあります。会社に勤めて働く時ですら、お金よりもやりがいを求めるというような時代になってきていますから、自分がビジネスをやっているとしたらもっと重要になってくるのだと思います。

そう考えると今まで損益計算書でお金の計算をしていたものは、利益がいくら出るかではなくどれくらい長く持続できるかという基準も重要になっていくのではないかと考えています。

事業計画もいくらの利益を出せるかではなく、何年持続できるかというような指標で考えた方が良いのだと思います。そして持続させるためには自分に合った明確なビジョンを持つことが必要になってくるのではないかと考えています。

希少価値に手を出さない

アナログからデジタルに変わっていくにつれて、希少価値というものが前時代的な考えのように見えてきます。

希少価値というのは有限のものの中から何かを選ぶことです。最初から数が限られてるものの中から何かを選ぶと、その時に価値が高いものが生まれるということです。

希少価値を求めることの問題点は奪い合いに巻き込まれるということです。競争であったり奪い合いに巻き込まれてしまうということがあります。

例えばファッションでいうと象牙とか毛皮のように数が限られているもの、貴重なものというのはそれだけで人間や動物から何かを奪って何かを手に入れるというような構造になってしまいます。

一方でデジタルの世界では希少価値ではなく自分自身の価値という基準でものを選ぶことができます。

例えば音楽の話でいうと、アナログ的な世界ではマニアックなジャンルやアーティストのCDとかレコードを入手するのは結構難しいわけです。それは数が限られているから高かったり入手しづらかったりするわけです。

それがデジタルであれば月額1000円ぐらいでかなり細かい趣味の音楽でもすぐ手に入るというのが今のデジタルの世界です。これはなぜかと言うとデジタル化された物は物理的な「棚」が必要ないからです。

アナログ的な物っていうのはどんなに小さくても棚や収納スペースが必要になってきます。例えば CDの一つ一つはは小さいですが、店に並べるということを考えると物理的スペースの制限があります。

それがデジタルにはないということです。このような形でデジタル化していくにつれて他の人の基準で希少価値を追い求めるのではなくて、自分がありのままで本当に欲しいもの自分の価値を追求するということが重要になってくるのではないかと考えています。

まず実験する

何か新しいことを始めようとする時には準備に力が入ります。しかし準備はそこそこにして、まず実験から始めてみるのが良いと考えています。

これは頭の中で色々考えて準備をするのではなく、まず行動をするということです。準備と実験の違いは成功を期待するかしないかということです。

準備というのはこうやったら成功するだろうと期待をして準備をすることになります。ですが実際は準備段階で成功するかどうかというのは知りようがないものです。うまくいくときもあればうまくいかない時もあるですから、成功するかどうかをまず置いておいて、小さいステップで実験をしてみるということが大切です。

実験だからうまくいくかどうかわかりません。必然的に実験は小さなステップを踏むことになります。

例えば何か教室を始めたいのであれば、最初は公民館を借りたり公共の施設を借りたりしてその都度お金がかかるような形で、固定費を抑えて運営していくということです。そのようにして十分生徒集められるということが確定すれ今度は実際にテナントを借りて運営していくという風に段階を踏んでいくということです。

意気込んで準備をしてもそれが成功する確率というのは分からないわけですから、とりあえずは実験をしてみるということが重要だと考えています。

貯金しなくていい人になる

将来への不安から生活の安定を求めるというのは当然のことです。お金を貯めようという風な考えもありますが、お金を貯めるのではなくスキルとか信頼関係を貯めていく方が効果的だと思っています。

どういうことかというと、貯金がなくても生活の不安がないくらいのスキルとか人間関係を構築していくということです。例えば仕事がなくなったとしても別の会社にすぐ就職できるようなスキルを持っていればそれで問題ないわけです。 A 社という会社で仕事が駄目になっても同じような内容の仕事をしている B 社にまた就職できるのあればのであれば、それは一つの安定の形だと言えます。

起業しているとしたら、何かの事業に失敗したとしてもまた別の事業をやるときにお金を払ってくれる信頼関係を構築していればそれも一つの安定の形になるということです。

なぜスキルや信頼を貯めていくのがいいかというと、お金を貯めるということは根本的な問題解決にならないからです。一時的な生活費になることはあるかもしれないですが、その先に何十年も続けていくにはお金だけだと足りないからです。

具体的には年間300万円で生活している人がいたとしたら1000万円貯めても3年ちょっとしか生活できないということになります。ですからお金を貯めるというのはさほど効率の良いことではないかもしれません。貯金するだけのお金や労力があるのであれば、スキルのためにあるいは人間関係を作るために使っていた方がより効果的だと思います。

お金を貯めても自分に自信が持てるようにはなりません。自信につながるようなスキルを貯めることにリソースを使っていったほうがよいのではないかと考えています。

初対面では内面を褒める

初めてお会いした人に対しては内面やオーラを褒め、もっと時間が経って関係が出来てきたら見た目や外見について褒めてあげるというのが良いと思っています。

一般的にはこの逆をやってしまいがちです。初対面で外見を褒めてしまうことが多いと思います。

なぜ内面からかというと、相手に興味を持つためです。褒めるといっても、ただお世辞を並べればいいというわけではありません。

初対面ではその人がどういう人なのかどういう内面を持っているのかということに注目して良いところを探すということです。初対面の方にその方がどういう方なのか理解しようとして相手に興味を持ち、そして見つけた良いところを褒めるというのは相手も非常に喜ぶことなのではないかと思います。

どうしても初対面で目に入ってくるのは外見ですから、そこにばかり注目してしまいがちです。そういった表面的なことで人間性を判断されるのはあまり喜ばれないものです。

例えば見た目がかっこいいとか綺麗な方に対して初対面で外見を褒めても、もはや陳腐な言葉に聞こえて喜ばれないことがあります。そういったお世辞を並べるのではなく、相手の良いところを探そうという考えです。なかなかそういった褒め方をしてくれる人は少ないと思います。

初対面で雰囲気だとかオーラを褒められるというのは相手にとってもうれしく、自分にとっては相手をよく理解するためにとても良いことだと考えています。