なぜ塾は2階が多いのか

学習塾のテナントは2階以上にあることが比較的多いです。それは一階のテナントを借りるほどのメリットが感じられないからです。

まず1階のテナントを借りるメリットについて考えてみたいと思います。1階のテナントというのは道路に面しているということで人目につきやすいです。ですから存在を認知してもらう確率が高くなります。そしてお店によっては、2階ならめんどくさいけど1階なら行こうと思うようなお店もあります。軽いランチを食べるだけであれば2階に上るよりも1階で早く済ませたほうがいいということです。

こういった心理的なメリットがあります。ですからテナント一般で見れば1階の方が人気で家賃が高いことが多いのです。

では塾はどうかというと、1階のテナントを借りて目立つ必要はあまりないといえます。塾は会員制のサービスですから継続して毎週来てもらうことになります。2階に上がるのが面倒でも、スケジュールが決まっているのでさほど心理的負担にはなりにくいです。

そして広告という面では、路面で認知度を広めるということはあまり本質的ではないと思われます。塾は、中身がしっかりしていればそこから口コミで広がっていくという性質のものです。

ですから単純に道路に面したところにテナントを構えて単純に目立って露出を図ろうという作戦があまり成功しないということです。1階の家賃の高さも考えると割に合わないということです。

このような点で、家賃の高さの割にはメリットというのは感じられないとということになります。そういう理由で塾は2階以上、3階や4階のことが多いのだと考えられます。

ポリシーを50%以上確保する

どういう活動するかは、ポリシーを基準にして決めるというお話です。仕事にしろボランティア、その他の社会貢献活動など、その活動をするには何かモチベーションがあります。

何をでその活動するかということです。その活動する時のモチベーションは一つだけに決まってるわけではありません。お金であったり自分のポリシーであったりするわけです。いろんな要素が混じって活動するための原動力になっています。

そのモチベーション全体のうち、50%以上がポリシーや理念への共感であるような形が望ましいのではないかと考えています。

たとえば仕事にしても99%お金のためで残りの1%の理念共感しかない状態だと少し苦しいのではないかと思います。それは道徳的にポリシーで行動するのが正しいとかそういうこと言ってるわけではなくて、やってるうちに自分が苦しくなるということです。お金のためだから仕方ないという風に割り切って仕事していたとしても、何年かやってみると「この仕事をしている意味はあるのか」という風な虚無感に襲われることがあります。

理論的にはお金のために働くというだけでいいような気がするのですが、実際にはそううまくはいかないということになります。これが仕事に求めるやりがいとかそういったものです。

特に最近は給料をいくら上げても人が集まらないという話もよく聞く話で、高い給料を払えば人が来るだろうというのは安易な発想です。生活を支えるのは当然必要なことですが会社だとか仕事の持っている理念やポリシーにどれだけ共感できるか、というのが働くためのモチベーションとしてすごく重要になってきているなという風に感じます。

これは働く側としてもそうです、自分がいいと思っていても生活のためにやってるんだからいいんだと思っていてもだんだん苦しくなってくるというようなことがよく起こります。

具体的には大学卒業して2、3年ぐらいの時タイミングで自分は何のために仕事してるんだろうかとか、本当に誰かの役に立っているんだろうかという風に悩むケースがよくあります。

そしてまた経営者で人を雇う側からすると、なんでこんなに高い給料に設定しているのに従業員が集まらないんだろう、というような悩みを抱える経営者でも多いというふうに聞いています。

ただ数字で給料を提示するだけではもう心が動かないという時代になっていて、自分たちがやっている仕事の理念やポリシー、どういうビジョンをもっているかを働く側に労働者の側に伝えていかなければなりません。その伝え方が上手くなければ採用もうまくいかないというような現状になっていると思います。

ですから活動するきっかけとかモチベーションのうち、50%以上は自分のポリシーややりがいをを基準に選ぶ必要があると思っています。そういったポリシーの共感が薄いままに活動してしまうと途中で心が折れてしまうようなことが起こります。それは少しもったいないことだと思いますので、悩んだ時は自分がどれだけポリシーに共感しているかを考えてみるのがよいのではないかと考えています。

ポリシーの比率は人それぞれ違います。経営者や創業者はポリシーが99%でなければ長く続けられないでしょうし、一般のサラリーマンであれば50%の共感と50%の生活のためで働くのは十分素晴らしいことです。

いずれにせよ、自分自身のためにもポリシー比率が50%以上の活動をしていくのが良いと考えています。

生徒の「わかった」を信じる

若い頃に時間講師で教えていた塾の研修で言われたことばがあります。それは何かと言うと、生徒にわかった?と聞いて「わかった」と答えるのを信じてはいけないということです。

これはどういうことかというと、わかったつもりになるのをなくしていきたいというポリシーのもと、生徒のわかったという言葉を信じずにしっかり指導していこうということです。これはたしかに一理あると思っています。

わかったかと聞かれたら「はい」と答えたくなりますし、わかったつもりで「わかった」と言った方が話が早く終わるのでその方がいいとというのも納得できる話です。

ですから先生は生徒とわかったを信用せずに、しっかり生徒を観察して本当に問題に正解できるまで徹底的に面倒を見ていくんだというような発想です。

確かにその当時私はそれは一理あるなと思って納得していましたただし経験を積んで行って視野がもっと広くなってくると、自分の目指している方向性とは少し違うことに気がついてきました。

「生徒のわかったを信じるな」はあくまでもペーパーテストを攻略する上での指導方法だからです。ペーパーテストで問題を正答することが最終目的であるから生徒のわかったつもりは許されないということです。

しかし、ペーパーテストや問題を解くことだけでは計りきれない学びがあるのをだんだんと気づくようになっていきました。計量できる学びが全てではないということです。たとえば何か新しいことを学んで、「なんとなくわかった、楽しい!」というそれだけで立派な学びであり、今ある教育システムで置き去りにされている部分でもあると考えいます。

テストの問題を解くことだけに偏り過ぎてしまって、自分で考えるとか学ぶ楽しさが奪われてきているのではないかと心配もあります。ですからもう一度問題を解くだけが勉強ではないということを再認識する必要があるのではないかと考えています。

勉強の楽しさとテストの楽しさは別物

勉強というのは勉強すること自体が楽しいものです。それとは別に、問題が解けたり成績が良かったりする楽しみがプラスされているのだと思います。

学ぶ楽しさというのは、何か新しいことを知るという楽しさでもあります。例えば数学でいえば数の世界の広さを知ることができたり、数式の意味を理解してなるほどと思ったりとかそういった楽しさです。

このような勉強の楽しさは本来ペーパーテストで測ることはできません。ペーパーテストで測ることができることは非常に限られているというのを覚えておく必要があります。

勉強自体に楽しさを感じられない場合にも何とかモチベーションを高めるために、クイズ形式の問題が用意されていると考えることができます。そのクイズをまとめたものがペーパーテストです。

クイズ形式の問題を解くことだけに注目しすぎて、それが勉強だと思われているような風潮があります。そうではなく、勉強して新しいこと知っていくこと自体に楽しさがあり、その楽しさに気づくことができる環境を作るのが学習環境や学習システムであり、楽しさを発見することを一番優先するべきだと考えています

口から出るニーズを翻訳する

顧客の口からでるニーズをそのまま言葉通りに解釈するのではなく、それを翻訳して本当にもとめているものに変換する必要があると考えています。

顧客は課題感を漠然と抱いていて、ソリューションがわからないからこそ課題感を持っているからです。ヘンリーフォードの「顧客に聞いていたら彼らはもっと速い馬を欲しいと言っただろう」という言葉にもあるように、顧客の口から出るニーズをそのまま鵜呑みにすると本当の解決にはならないということです。

塾でいうと「成績が上がらない」という保護者のニーズを口にすることが多いですが、それに対して成績を上げることが本当のソリューションにならない場合も多く存在します。

「成績が」という言葉の裏に隠れているのは「将来しっかり生きていけるだろうか」という本当の課題であることが多いです。近年はよりその傾向が強まっていると感じます。

そうなると本当に求められているのは学習ではなく、もっと広い意味での教育なのではないかと考えています。

顧客が語るニーズや課題を変換してソリューションを提供することが重要だと感じています。

今できることがたくさんある

どんなに派手に活躍されている方でも、発言や行動を見ると決して楽をしたりズルをしているわけではないのがわかります。いわゆる「何やっても成功しただろうな」という人物です。

将来の目標や夢は持ってもいいのですが、それよりも大事なのは今できる小さなことです。

やった方がいいとわかっていることや誰からも評価されないことなど、今すぐできることがあります。

たとえばコンビニの店員にお礼を言うとか、脱いだ靴をそろえるとか、くだらないと言われたらそれまでのことであっても、小さなことを心がけることができます。

それらの小さなことは習慣になり、そして習慣は未来を作ります。

キャリア教育の名を借りて、大人が子どもに夢をもつことを強制するような関わり方が増えてきているように見えます。たとえば将来の目標を決めて、そこから逆算して今何をすべきか考えていこうという発想です。

遠くの目標が全てではなく、今この瞬間にできることの重要性も並行して伝えていけたらと考えています。

家の顔、外の顔

親と子の関係においては適切な距離を保つことが重要になってきます。現代の家庭の捉え方では、家庭が社会から隔離された非常に小さな社会になり親子の距離があまりにも近くなりすぎるというような問題も指摘されています。

子供でも大人でも家の顔と外の顔があって、それぞれ全く別ものだと認識することが必要です。

特に親は子どもについてすべてを知っているように勘違いしてしまうので、家の顔をその子どものすべてだと思いがちです。そうではなく、物心がついた頃から家の顔と外の顔をキッパリと使い分けているということを思い出す必要があります。

家庭では外の顔というのは決して見ることができないわけですが、そうだとしても家の顔と外の顔は違うのだということを認めてあげることが必要だと思います。

トラブルが起こるのは家の顔と外の顔がバッティングする場面です。例えば三者面談のように、学校という外の顔と、親という家の顔の二つがぶつかり合う時に問題が起こります。そういった場面でもできるだけ外の顔を優先してあげて、家庭内での家の顔を暴露するようなことはできるだけ避けたほうが良いです。