生徒の「わかった」を信じる

若い頃に時間講師で教えていた塾の研修で言われたことばがあります。それは何かと言うと、生徒にわかった?と聞いて「わかった」と答えるのを信じてはいけないということです。

これはどういうことかというと、わかったつもりになるのをなくしていきたいというポリシーのもと、生徒のわかったという言葉を信じずにしっかり指導していこうということです。これはたしかに一理あると思っています。

わかったかと聞かれたら「はい」と答えたくなりますし、わかったつもりで「わかった」と言った方が話が早く終わるのでその方がいいとというのも納得できる話です。

ですから先生は生徒とわかったを信用せずに、しっかり生徒を観察して本当に問題に正解できるまで徹底的に面倒を見ていくんだというような発想です。

確かにその当時私はそれは一理あるなと思って納得していましたただし経験を積んで行って視野がもっと広くなってくると、自分の目指している方向性とは少し違うことに気がついてきました。

「生徒のわかったを信じるな」はあくまでもペーパーテストを攻略する上での指導方法だからです。ペーパーテストで問題を正答することが最終目的であるから生徒のわかったつもりは許されないということです。

しかし、ペーパーテストや問題を解くことだけでは計りきれない学びがあるのをだんだんと気づくようになっていきました。計量できる学びが全てではないということです。たとえば何か新しいことを学んで、「なんとなくわかった、楽しい!」というそれだけで立派な学びであり、今ある教育システムで置き去りにされている部分でもあると考えいます。

テストの問題を解くことだけに偏り過ぎてしまって、自分で考えるとか学ぶ楽しさが奪われてきているのではないかと心配もあります。ですからもう一度問題を解くだけが勉強ではないということを再認識する必要があるのではないかと考えています。