負けても大丈夫な人になる

教育に競争が必要かいうことが話題に上ることがあります。教育において競争というものをどうとらえたらいいかを考えていきたいと思います。

競争があったとして、もし負けたとしても立ち直れる人になるということが重要なのではないかと考えています。もちろん競争して勝ちにいきたいという人はそれでいいと思います。

ただ競争の弊害として競争することによって、何かを嫌いになってしまったり無気力になったりしてしまうのは良くないと思っています。例えばかけっこで競争することによって、もう運動するのが嫌だとコンプレックスになってしまって、その先の人生で運動を遠ざけるようになってしまうのは大きな損失です。

ただ、競走に関して違和感を覚えるのは「みんな優勝」とか「みんな一位」という方式には少し違和感を覚えています。みんな優勝みたいなスタイルは、競争を否定しているようで実は肯定しているからです。

どういうことかと言うとみんな優勝ということは、競争に勝つことはとても大きな価値があるんだと言っているのと同じ意味になります。ですから競争を否定しているようで実は競争の一種であるという風だと言えます。

競争というものにおいて重要なことは、勝てばもちろん一番いいでしょうけれども、負けた時にそれを認められるということだと思っています。負けたとしてもそれを嫌いになったり無気力にならないような姿勢が大切だと思っています。

これは競争を肯定したり否定するのではなくてそのまま受け入れるということでもあります。どういう風にして受け入れるかというと、人生においてはいろんな軸があってその軸の一つで勝ち負けがついたとしてもそこまで気にする必要ないと捉えることです。

例えばスポーツという基準で勝ち負けをつけた時に、自分が負けてしまったとしても何か別の軸があるという風に考えることが大切です。それは例えばスポーツがダメでも勉強があるみたいな形で、他に自分なりの軸があるのでまぁ大丈夫だろうという風に思えることが重要だと思っています。

そしてその価値の基準や自分の軸を増やしていくということが重要だと思っています。ですから競争はあるんだけれども、それはそれとして、他にも自分なりの基準が色々あるのでまぁ大丈夫だろう、というふうに精神的に落ち着かせられるというのが大切だと考えています。

このようにして教育における競争を考えた時に、もちろん勝つことが全てではなく、負けても大丈夫だろうというしなやかな姿勢を保つということが大切なのではないかと思います。そして負けても大丈夫だと思えるような人を育てることが教育の役目なのではないかと考えています。