素人評論家より人情ある庶民になる
盗人にも三分の理ということわざがあります。ものを盗むのは悪いことには違いないのですが、盗んだ方にもほんの少しは理由があるということです。
どんなに悪い事でも本当に100%を全部否定するのではなく、少しだけ同情してあげられる部分もあります。
一般人の我々が目指すのは、テレビに出ているような評論家ではなく人情のある庶民になるということではないかと考えています。
まず、正論ではなく人情論を大切にするということです。論理的に正しい発言もあるかもしれませんが、それではだけではなく人間としてふさわしい発言・行動があると思います。
たとえば誰かの病気になったり怪我をしたということであれば、相手がどんな敵対する人間であっても思いやりのある発言をするべきです。それがたとえ自己責任だとしても責めずに、一人の人間として大切にしていくあたたかい気持ちが必要です。
偽善と言われてもかっこつけと言われても、そういう気持ちを持ち続けたいものです。
そして、自分の話す場所を小さくすることも重要です。話し相手の人数を減らすということです。100人を相手にして話すとなるといろいろな誤解が生まれる可能性があるのでどうしても最大公約数的な無難な正論しか言えなくなってしまいます。
盗人にも三分の理、という話をするには少ない人数でないといけないということです。特にわれわれ一般人に関しては相手の人数を減らしたところでデメリットはほとんどありません。
デメリットがあるのはたくさんの人に見てもらう必要があるメディアだけです。例えばテレビや新聞はできるだけたくさんの人に見てもらって広告を見てもらい、スポンサーから収入を得ると言うそういうシステムになってますので、そういうマスメディアにおいてはたくさんの人に話すことが必要になってきます。その一方で我々個人はあまり多くの人に語りかける必要は無いはずです。
正論を言う素人評論家よりも、人情のある庶民になりたいものです。