無駄な経験はない

自分の身をもって体験したことは決して無駄にならないと思います。すべてが役に立つとも限りませんが、少なくとも無駄にはならない経験になるのではないかと考えています。

何故かというと、自分の肌を通して経験したことだからです。

例えば夏休みの宿題を残してしまって期限までに終わらないと言うような経験があったとします。

決してその後の人生に役にたつとは思えませんが、その経験自体は決して無駄ではないと思います。

本当に一切役に立たない可能性もありますが、もしかしたら少し心のどこかに引っかかっていて後々の考え方に影響与えるようになるかもしれません。

逆にこのような失敗体験をしないで理屈だけを理解して成功したとして、それが本当に良いことなのかという疑問があります。

頭で理解して成功するのはもちろんいいことでしすが、それ故の脆さのようなものも感じます。

方法は知っているけれども法則を知らないと言うような状態です。言い換えるならば部分はわかるけれどもそれに至るプロセスを体感していないということです。

たとえるならば、魚の切り身しか見たことないというような状態です。魚の体がどういう全体像をしているのかという大きな法則を知らずに、食べるために必要な切り身の部分だけ理解しているという状態になってるのではないかという心配があります。

そういう意味では失敗の体験も役には立たないとしても、決して無駄にはならないと考えています。

大人が理解させて成功だけを体験させるのではなく、無駄にならないと信じて手出し口出しをしない判断も必要なのではないでしょうか。