マーク・記述にこだわらず、公平な試験をやめればいい

試験の形式にこだわったり、誤差や採点ミスのない試験を作ろうとするのではなく、特色のある試験を作ってはどうかと思います。

公平、正確な試験を要求する意見も多いのですが、終わりのない欲望を追いかけているようにも見えます。

いくら公平な試験を作ったところで、どこまでいっても完全なものはありません。公平性のためにかかるコストに見合っているのかという疑問が生まれます。

人生の中では自分の力でコントロールできる範囲にも限界があります。努力の成果もあれば生まれつきの遺伝の要素も多分に含まれているわけですよね。

今日の萩生田大臣の会見でもこのような意見が述べられました。

「自分たちの大学では問題は作らない、採点はしないというのはちょっと私個人は 腑に落ちないところがありますので」

萩生田文部科学大臣会見(令和元年12月17日)

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本来は試験が公平であることよりも、大学の求める学力を試験できているかが重要なのではないでしょうか。ですから大学が独自の方向性を示した試験を作っていくことにフォーカスしていくのがベストだと思います。

その一方で学校の理念を反映した問題を作成、採点するほどの力がない学校が入試センターに試験を要求しているというのが難しいところなのだと思います。

結局は「受験はご縁」と考える方が気がラクですし、賢い付き合い方なのではないかと思います。