教科の学習はきちんと意味がある

教育の軸としてペーパーテストや他人との比較をすることを批判的にとらえていて、それらの代替案を作りたいと思っています。

しかし、そういうと「今の学校はよくない」というただの現状否定と勘違いされる心配があります。

「数学なんて勉強しても社会に出ても役に立たない」という主張とは少し違うということを説明したいと思います。

教科を学ぶ目的

教科の学習は、すべての人にとって非常に意義のあるものだと考えています。

教科を学ぶ意義の一つとして他者の視点を獲得するということが挙げられます。

他者視点

たとえば国語、英語、数学は”言語”を学ぶものだと捉えることができます。言語を扱うためには他者の視点、「相手はどう思うか」が必要になってきます。

これはつまりコミュニケーション能力を鍛えるということですから、将来的にも役に立つ能力だと言えます。教科を学校だけで学ぶものととらえず、直接的に生徒の将来に役に立つものとして学習していくべきではないでしょうか。

他者視点を獲得するトレーニングするのが言語系の科目だと思いますが、言語系以外のそれぞれの科目も同様に「学ぶ意義」というのは存在しています。

また、それぞれの単元の内容にも「学ぶ意義」があります。

解いて終わりの学習

「学ぶ意義」を理解する、ということを通り過ぎて、いかに問題を解くかに偏った学習をしているのは問題だと思います。

たとえば数学の平方根の計算は機械的に上手にできるのに、平方根の意味や存在意義を全く知らないという生徒は多いようです。このような学習方法で、暗記以上の内容まで踏み込んでいない段階では数学を学ぶ意味を感じることができなくて当然です。

暗記は必要なのですが、もう一歩踏み込んだ学習があればいいなと考えています。

どこまで細かく学習するか

教科を学ぶ意義は他にも考えられますが、仮に他者視点の獲得を教科学習の目的にするとしたら、現状の学習の内容は少し細かすぎるかもしれません。

その道の専門家になるのであれば必要かもしれませんが、教育を受けるすべての人が必要とするとは思えない知識は、切り捨ててもよいのではないかと考えています。

たとえば細かすぎる英文法の知識などの中に、学ぶ意義が感じられないものがあります。学ぶ意義を習得するという目的に対しては、やる気をそぐような少し非効率な内容だと思います。

教科学習をより密度の濃いものにしつつ、新しい教育にもフィットする方法論を探していきたいと思っています。