従順さという負債、創造性という資産

学生時代に求められる「親や先生の言うことを聞く」という能力は、その後の人生においてはマイナスに働く可能性も高いのではないか、と考えています。

学校、家庭、スポーツなどの教育の場で従順さを強制するようなことは、本人にとって長く残る負債になるかもしれません。

従順さを世の中は求めていない

たとえば学校を卒業したあと、就職する時に企業から求められるのは「言われたことをやる」能力ではありません。主体的に動く能力です。

言われた指示をこなすことが正しいことだと刷り込まれた人は、指示がなくなった瞬間に何をしたらいいかわからなくなります。

従順に行動することで学校では評価されてきたのに、社会に出てからは主体性の無い人はマニュアル人間などと言われ戸惑うこともあるかもしれません。

主体的に動くことは何かを選択することであり、心理的コストがかかります。一方で従順に行動することは「拒否しない」ことによって自分で選択をしないことと同じです。心の負担を減らして楽に生きる処世術なのかもしれません。

しかし誰も正解がわからない世の中ですから、どんな状況であろうと選択する必要が出てきます。それには心理的な負担が伴います。

心理的コストを伴う選択をするトレーニングをしてきた人と、そうでない人との間には大きな能力差があるのではないかと感じています。

創造性とは

創造性とかクリエイティビティというと、なにか芸術的な能力なのかと誤解されるのですが、そうではありません。

何かを思いついたり、考えたり、試したりすることを創造性と呼んでいます。

創造性には特殊な才能も莫大な費用も必要ありません。創造性は人との関わり方で養われていくものです。

思いつきや試行錯誤が承認される人間関係の中では創造性が育ち、それらを否定する人間関係の中では創造性が殺されます。

日本人の美徳としての”和”の精神を保ちつつ、長期的な視点で創造性という財産を持たせてあげるのが教育の責務だと考えます。