マスコミは悪くない
情報を自分で判断するということは非常に重要です。よくマスコミが良くないという意見があるんですが、そうではなくて自分で判断できるようになるということが重要だと考えています。
どういう媒体であったとしても、情報に対して受け身になるのはあまり良いことではないと考えています。
例えばちょっと話が変わりますが、誰かと誰かが喧嘩していたとします。そういう時は片っぽの意見だけを聞いて判断したりはしないわけです。必ず両方の意見を聞いて状況判断しないと偏った情報で一方的な話になってしまいます。そういう決めつけはあまり良くないということです。
これは例えば政治家とマスコミという関係でも同じです。マスコミの主張することだけ受け取るというのは喧嘩してる二人のうち、片方の意見しか聞かずに相手を責めるようなものです。
マスコミというのはあくまでも片方の意見であってそこをどう判断するかと言うともっと相手の考えも聞かなければいけないし、もっと追加の情報が欲しいということになると思います。
それに加えて今はマスコミの情報だけではなくそれ以外の方法、たとえばインターネットを使うと政治家の会見の内容が直接聞けたり元の映像が残っていたりします。ですから出来る限り元の情報を自分で取りに行くということが重要だと思います。
そしてもしマスコミの情報しか見つからないのは、それは片方の意見しか聞いていないことになるので一旦自分の意見は保留します。
こういった理由でマスコミが悪いというのではなく自分で判断するということを意識していくと良いのではないかと思います。
価格を言い訳にしない
地方では特に値段が高いから買ってもらえないというような声を聞くことがあります。ただこれを都合のいい言い訳として使わないように気をつけたいものです。
疑うべきなのは、本当に値段が高いから買わないのか、ということです。お金がないから買わないのか、それとも気持ちが動かないから買わないのか、その境目をはっきりする必要があります。
なぜそうするかというと自分のサービスの自信の無さを価格のせいにして責任をなすりつけるようなマインドを持たないためです。にお金がないというのは気にしないと値段が高いというの言い訳にしないということが重要だと考えています
個々ののケースでどれぐらいの基準を高いというかは違ってきますが、大体の目安としてその商品の値段が所得の10%を超えているようなものは値段が高いということが言えるかもしれません。
ですから例えば1万円だから高いということではなくて、収入が月10万円の人にとって1万円は高いけれども月の収入が30万の人にとっては1万は比較的高くはないという風に考えることができます。
高いから買ってくれないというそれを言い訳にしないためには、そのターゲット顧客の所得の10%を超えているかどうかというのが一つの基準になると思っています。もし顧客の所得の10%以下の商品で売れないのであれば、その売るものの質が低いもしくは見せ方が悪いなど、そういったところに原因があると考えています。
読解力は落ちているのではなく、抜けている
学生の読解力が落ちているということが話題になることがあります。これに関しては、学生の読解力自体は落ちてないのではないかなという風に現場で見て感じています。
とはいえ読解力が低下しているというデータが出てくるのはなぜかということを考えてみると、読む力が弱くなっているのではなく、そもそも読まないことが多くなっていると感じます。つまり、読めないのではなく、そもそも読んでいないというケースが多いのではないかと思います。
これは単純に学生の質が落ちてるとかそういう話ではないと思っています。この数十年ぐらいで人間の遺伝子が変わるわけではないですし、もともと生まれ持った能力というのはさほど変わっていないはずです。
なぜ読まないようになってしまったのかということを考えると、いろんな学習の環境であったり評価の仕方が関係していると思います。問題の答えなど結果だけを評価して途中のプロセスの評価がおろそかになっているからではないかと考えています。
小さい頃から結果だけ出せばいい、答えだけ出せばいいというシステムに囲まれた結果、途中のプロセスをおろそかにする考え方の癖が付いているのではないかと考えています。
マルバツだけに依存しない評価方法や、他人と比べない関わり方などが大切になってくるのではないかと考えています。大人がそういう環境をつくっていかなければならないのです。
正解にこだわるような学習方法に偏りすぎているものを、少し調整する必要があるのではないかと考えています。
失敗しても大丈夫そうな人
成功するためにはどうしたらいいかと考えることがあると思います。ですがどうやって成功するかというよりも、失敗しても大丈夫そうな人になるということの方が重要な気がしています。
例えば起業したいう人がいるんですが、この人を応援したいと思うのはほんの一握りの人だけです。どういう人が応援したくなる人かというと、「このビジネスが失敗しても、この人ならその先もなんとかなるだろう」と思える人です。
実際に成功するか失敗するかというのは誰にも分からないことです。ですからどれだけ成功する確率が高そうに見えても実際どうなるかわからないのであまり意味がないということです。
そうではなくてこの人だったら失敗しても大丈夫そうだと思える能力を身につける方が重要なのではないかと考えています。
では失敗しても大丈夫そうな人はどういう人かというと、おおざっぱに言うと総合力があるということです。ある分野にのみ偏っていないということです。
もっと具体的にすると、人の話をよく聞くということです。人の話を聞いてそれを自分のものに吸収できる人です。そういう人はおしゃべりでなくても他の人と上手くコミュニケーションを取ることができると思うからです。
失敗しても大丈夫そうな人になっていくということが重要だと考えています。
おいしさは味だけで決まらない
食べ物のおいしさを価格とか産地で決めることには少し虚しさを感じています。なぜならばおいしさというのは必ずしも味だけで決まらないからです。
例えばごく普通の野菜であっても、自分で収穫したり自分で育てたものというのはとてもおいしく感じるものです。これが味だけが全てではないという例の一つです。
反対にどんなに高級な料理であっても、盛り付ける皿や盛り付け方が微妙だったりするとおいしさが少し落ちてしまうように感じてしまうだろうと思います。これも人間は純粋に味だけで判断してるわけではないということの根拠になります。
このようにちょっと知恵を使えば食べ物というのはおいしくなります。そもそも食べ物というのは、肉や魚であれば元々生きてたものですし野菜であれば土の中で太陽を浴びながら育ったものです。普通の食べ物も全ておいしいものなのです。
価格や産地にこだわるのではなく、食べ物を美味しく食べる知恵を身につけていくともっと生活が楽しくなるのではないかと考えています。
試験対策は一つの科目
学校の最終目標が入試で、学校生活が全て入試のためにあるという意識を少し変えていきたいと考えています。
学校で生活するということの本来の意味が少し見失われているのではないかと考えているからです。入試対策というのは一つの科目、くらいに思っていた方がいいのかもしれません。
現状では、「学業優先」という言葉がほとんど試験対策優先という意味と同じになっています。そうではなくて、将来生きていくための学びの段階だということを意識していくことができたらいいなと考えています。
ただし今ある入試のシステムというのを完全に否定する必要はありません。既にあるシステムとはうまく調和しながら、新しい教育の形を目指していけばいいのだと考えています。
そのために、心構えの一つとして、学校生活は全てが試験に入試に向かっていくのではなくて、国語や数学と同じように「試験対策」という一つの科目があるというような捉え方がいいのではないかと考えています。
起業をサブスク化したのが労働
会社に雇われて労働するよりも起業して自分でビジネスをやった方がかっこいいというようなイメージがありますが、そうとも限らないのではないかと思います。
労働と起業の違いというのは、所有するかシェアするかというような違いと似ていると思っています。物を買って自分で所有するのではなくシェアしてサブスクのような形で月額料金に払っていくというようなスタイルがありますが、その形と似ていると思います。
シェアというのはいろんな制約があるものを月々にならして考えるというような概念です。例えばいま車のサブスクというのが少しずつ進んできています。車に関しては買って自分で所有したいという人が多いのも現状です。他人から借りているのではなく自分で持っている方が安心だという意見もあります。
借り物だから少し不安な面があるということですが、少し考えてみるとその不安もあまり当てはまらないということがわかります。自分で買って車を所有していたとしても、車検を通さなければならないとか自賠責保険に入らなければならないというように制約はたくさんあるわけです。
ですから所有したからといって完全に自分の思い通りに行くかと言うとそうではなくて、ある程度の制限を受けるということです。所有していてもある程度範囲の決まった中での自由で、完全な自由ではないということです。
そうであるならばどこかのサービスを利用して借りて、月額料金で払って制約の中の自由を行使するのも同じことなのではないかと思います。
仕事を自分で起業するのと雇用されて労働するのは似たような図式になっているかなと思います。自分で起業してビジネスを運営していく時には収入に波があります。その波を平準化して月々でならしたものが雇用契約や労働だと考えることができます。
ですから労働というのは月々でならして、リスクを減らした形の仕事の仕方だという風に考えることができます。労働というのはリスクを減らして極めてスマートな形での働き方です。そういった意味では雇用契約を結べるというのはなかなかクールなものだと思います。