20年後のお金の価値は

専門家であっても5年先を予測するのは難しいといわれている時代です。10年後とか20年後にお金はどうなっているのでしょうか。

先のことは全く予測できませんが、もしかすると20年後にはお金の価値そのものが消えているという可能性もあるのではないかと考えています。文字通り「お金がすべてじゃない」時代というのがやってくるのかもしれません。

どういうことかというと、お金が完全になくなるわけではないけれどもある程度お金があればそれなりに楽しい生活ができるというような状況になっている可能性があると考えています。

今の時代でもすでにそうなりつつあります。月2000円あれば音楽も聴き放題、映画も観放題というようなサービスがあります。無料ではないけれども本当にわずかなお金で楽しいことがたくさんできるというような状況になっています。

これが音楽や映画だけではなく他のことにもどんどん広がっていくと、さほどお金は使わなくてもそれなりに楽しい生活ができる未来が想像できます。

そうなった時にお金の価値がどれだけあるかということを考える必要があります。昔は必要生活に必要な最低限のお金と、それにプラスして何か楽しくするためのお金が必要だったのが変わってくるということです。

それなりのお金があれば楽しく生活できるとなった時に、ではお金の価値はなんなんだろうという話になっていきます。お金がなくてもいいんじゃないかというような価値観が生まれてきても不思議ではないということです。

一生懸命投資したり貯金したりしてお金を貯めることもどれぐらい意味があるのかという疑問も生まれます。20年後のお金の価値を考えながらお金とうまく付き合っていく必要があるのではないかと考えています。

「若いのにすごい」という表現

人を見るときに年齢は基準にならないというお話です。年齢によってできる事できない事っていうのは変化してくるということです。

さらに大切なのは年齢を重ねるとレベルアップするというわけではないことです。例えば20代のすごい人がいたときに、その人は本来30代にできることが20代で出来てるからすごいわけではないということです。

そうではなくて30代には30代にしかできないことがあり、20代には20代にしかできないことがあるというふうに考えた方が良いのではないかと思っています。

これは例えば経験が邪魔をするということがあって、年齢を重ねることによって考え方が凝り固まったりしてうまくいかないというようなことがあるからです。

一般的に若い時にできることっていうのは、体力があるので多少無理をしても頑張れるといったことが言われますが、知力とか思考とか精神的な面でも若い時にしかできないことがあるのです。

中学生にしかできない思考や発想もあるでしょうし、四十代五十代でなければできない思考というのもあると思っています。

もっというと年齢だけではなく個人それぞれができることが違うということも考えなければなりません。年代によってできることが違うように個人個人でもできることがそれぞれ違うということです。

そういう理由で、人を見るときに年齢を基準にすることはできないと考えています。

やる気は出すのではなく湧いてくるもの

やらなければいけないことがあるけどやる気が出ない、というのは学生、社会人問わず共通の悩みです。誤解されているのは、やる気は出そうと思わなくても自然に湧いてくるものだということです。

がんばってやる気を振り絞るのではなくしっかりと休息を取ることでやる気は湧いてきます。やる気が欲しければ休息せよ、ということです。

あらゆることに通じますが、がんばって気力を使ってやることは長続きしません。気力は目に見えませんが、スマホのバッテリと同じく残量が決まっているからです。

その場しのぎでがんばるのではなく、事前のセッティングが重要です。やる気が自然に湧いてくるくらいしっかりと休息をとるように工夫し、休息を確保するために気力を使うのが効果的です。

たとえば誘惑を断ち切ってベッドに行く、というようなことに貴重な気力を使っていくと良いです。

休息の境界をはっきりさせることも必要です。ダラダラしているからといって、必ずしもそれが休息になっているとは限りません。テレビやSNSは無駄な情報を脳にインプットしてかえって疲労蓄積の原因になります。情報量を絞って、何もない静かな時間を過ごすことが休息になります。

自然にやる気が起こってくるくらい、休息を優先的に確保することが重要です。

戦略的先延ばし

先延ばしすることは悪いことだという考えが一般的です。しかし何か悪い決断をしそうになっている時は、先延ばしするというのも一つの戦略として有効なのではないかと考えています。

なぜ先延ばしが良くない理由は、先延ばししているうちにどんどん状況が悪くなっているからです。

そもそもなぜ先延ばししてしまうのかというと、人間の脳が勝手に未来は明るいものだと錯覚するからだそうです。黙って先延ばしにしておけば勝手に状況が良くなるだろうというふうに思ってしまうからです。

そういう訳で先延ばしすると良くないと言われています。ただしそれを逆に利用して、あまりよくない決断、例えば契約を終了するとか何かと別れるというような決断をする時には、一旦先延ばしにしていくということも有効なのではないかと考えています。

今の状況が苦しくてそれをなんとか断ち切りたくてネガティブな決断を急いでしてしまうということはよくあるんですが、そういう時には先延ばししても良いのだという風に考えると心が少し楽になると思います。

内面のキャリア形成

キャリア教育が学校でも進められています。主に学歴や職歴といった表面的な話題になりがちですが、その人それぞれの内面におけるキャリア形成も重要だと感じています。

職業やステータス外部的なキャリアです。たとえばどこに進学してどこに就職するかを決め、そこから逆算して今の行動を考えるというのがよくある枠組みです。

外部的なキャリアのデメリットは、それらがなくなったら人間的に何も残らなくなるのではないかという心配があることです。たとえば立派な職業に就いたとしても、辞めてしまえば自分が何者なのかわからなくなるようなケースです。

職業やステータスを捨てられないからいまの仕事を続けるしかない、というような負のループに入る可能性があります。

内面的なキャリアとはどのようなスキルを持っているか、どのような体験が自分の行動原理になっているかなど自分の内側にストックされたキャリアです。

チームワークで自分の役割を理解しているとか、苦手な相手ともコミュニケーションが取れるといった内面的な能力は、職業が変わっても活かされます。

仕事を失ったらどうしよう、というような不安に苛まれずに済むということです。

そういった自分の内側にスキルやキャリアを貯めていくためには、頭で理解するというよりは自分自身で肌感覚を得ることが重要です。どんなに明らかなことでも自分で体験してみるのとそうでないのとでは納得感が違います。

様々な体験を準備することが教育の大きな役割なのかもしれません。

教員の質は低くない

今ある教育に対しての不満は非常に高まっていると思います。教員の学校の先生の質が低いのが問題だという意見がありますが、それには疑問を感じています。特に地方では教員以上の能力の高い人材を集めることは難しいと考えています。

例えば県庁や市役所や地銀で働いてる人を見た時に、教員の方が質が低いようには見えません。そういった公務員とか地方の有名企業と同じかむしろ教員の方が少しレベルが高いこともあると思います。

ですから地方においては今いる教員以上のレベルの高い人材を集めるということこれそもそも不可能なんじゃないかと考えています。

そして問題は教員の質では無いのではないかということです。現場の教育に不満があるから、この不満の原因は教員だという発想もあると思いますが、そこまでシンプルな状況ではないと思っています。

教員の質を上げれば教育の質も上がるというような単純な構造にはなっていないということです。教員も一生懸命頑張っているし、生徒も保護者も一生懸命頑張っています。それにもかかわらず不満が出てくるというのが今の教育の現状だと考えています。

ですから単純に教員の質を高めるという理想を求めるのではなく、別の角度からアプローチしていく必要があると考えています。

利益より持続可能性

ビジネスにおいて、経済的な利益よりも持続していくというような運営の仕方がいいという考えは以前からありました。ただその方向性がより強くなってきたなと感じています。

つまり利益を追い求めるよりも、持続可能性を求める方が時代に合っているというような状況になってきました。

自分のビジョンにあった活動することは、望ましいというよりももはや必須条件になっているような感覚もあります。会社に勤めて働く時ですら、お金よりもやりがいを求めるというような時代になってきていますから、自分がビジネスをやっているとしたらもっと重要になってくるのだと思います。

そう考えると今まで損益計算書でお金の計算をしていたものは、利益がいくら出るかではなくどれくらい長く持続できるかという基準も重要になっていくのではないかと考えています。

事業計画もいくらの利益を出せるかではなく、何年持続できるかというような指標で考えた方が良いのだと思います。そして持続させるためには自分に合った明確なビジョンを持つことが必要になってくるのではないかと考えています。