おいしさは味だけで決まらない
食べ物のおいしさを価格とか産地で決めることには少し虚しさを感じています。なぜならばおいしさというのは必ずしも味だけで決まらないからです。
例えばごく普通の野菜であっても、自分で収穫したり自分で育てたものというのはとてもおいしく感じるものです。これが味だけが全てではないという例の一つです。
反対にどんなに高級な料理であっても、盛り付ける皿や盛り付け方が微妙だったりするとおいしさが少し落ちてしまうように感じてしまうだろうと思います。これも人間は純粋に味だけで判断してるわけではないということの根拠になります。
このようにちょっと知恵を使えば食べ物というのはおいしくなります。そもそも食べ物というのは、肉や魚であれば元々生きてたものですし野菜であれば土の中で太陽を浴びながら育ったものです。普通の食べ物も全ておいしいものなのです。
価格や産地にこだわるのではなく、食べ物を美味しく食べる知恵を身につけていくともっと生活が楽しくなるのではないかと考えています。
試験対策は一つの科目
学校の最終目標が入試で、学校生活が全て入試のためにあるという意識を少し変えていきたいと考えています。
学校で生活するということの本来の意味が少し見失われているのではないかと考えているからです。入試対策というのは一つの科目、くらいに思っていた方がいいのかもしれません。
現状では、「学業優先」という言葉がほとんど試験対策優先という意味と同じになっています。そうではなくて、将来生きていくための学びの段階だということを意識していくことができたらいいなと考えています。
ただし今ある入試のシステムというのを完全に否定する必要はありません。既にあるシステムとはうまく調和しながら、新しい教育の形を目指していけばいいのだと考えています。
そのために、心構えの一つとして、学校生活は全てが試験に入試に向かっていくのではなくて、国語や数学と同じように「試験対策」という一つの科目があるというような捉え方がいいのではないかと考えています。
起業をサブスク化したのが労働
会社に雇われて労働するよりも起業して自分でビジネスをやった方がかっこいいというようなイメージがありますが、そうとも限らないのではないかと思います。
労働と起業の違いというのは、所有するかシェアするかというような違いと似ていると思っています。物を買って自分で所有するのではなくシェアしてサブスクのような形で月額料金に払っていくというようなスタイルがありますが、その形と似ていると思います。
シェアというのはいろんな制約があるものを月々にならして考えるというような概念です。例えばいま車のサブスクというのが少しずつ進んできています。車に関しては買って自分で所有したいという人が多いのも現状です。他人から借りているのではなく自分で持っている方が安心だという意見もあります。
借り物だから少し不安な面があるということですが、少し考えてみるとその不安もあまり当てはまらないということがわかります。自分で買って車を所有していたとしても、車検を通さなければならないとか自賠責保険に入らなければならないというように制約はたくさんあるわけです。
ですから所有したからといって完全に自分の思い通りに行くかと言うとそうではなくて、ある程度の制限を受けるということです。所有していてもある程度範囲の決まった中での自由で、完全な自由ではないということです。
そうであるならばどこかのサービスを利用して借りて、月額料金で払って制約の中の自由を行使するのも同じことなのではないかと思います。
仕事を自分で起業するのと雇用されて労働するのは似たような図式になっているかなと思います。自分で起業してビジネスを運営していく時には収入に波があります。その波を平準化して月々でならしたものが雇用契約や労働だと考えることができます。
ですから労働というのは月々でならして、リスクを減らした形の仕事の仕方だという風に考えることができます。労働というのはリスクを減らして極めてスマートな形での働き方です。そういった意味では雇用契約を結べるというのはなかなかクールなものだと思います。
20年後のお金の価値は
専門家であっても5年先を予測するのは難しいといわれている時代です。10年後とか20年後にお金はどうなっているのでしょうか。
先のことは全く予測できませんが、もしかすると20年後にはお金の価値そのものが消えているという可能性もあるのではないかと考えています。文字通り「お金がすべてじゃない」時代というのがやってくるのかもしれません。
どういうことかというと、お金が完全になくなるわけではないけれどもある程度お金があればそれなりに楽しい生活ができるというような状況になっている可能性があると考えています。
今の時代でもすでにそうなりつつあります。月2000円あれば音楽も聴き放題、映画も観放題というようなサービスがあります。無料ではないけれども本当にわずかなお金で楽しいことがたくさんできるというような状況になっています。
これが音楽や映画だけではなく他のことにもどんどん広がっていくと、さほどお金は使わなくてもそれなりに楽しい生活ができる未来が想像できます。
そうなった時にお金の価値がどれだけあるかということを考える必要があります。昔は必要生活に必要な最低限のお金と、それにプラスして何か楽しくするためのお金が必要だったのが変わってくるということです。
それなりのお金があれば楽しく生活できるとなった時に、ではお金の価値はなんなんだろうという話になっていきます。お金がなくてもいいんじゃないかというような価値観が生まれてきても不思議ではないということです。
一生懸命投資したり貯金したりしてお金を貯めることもどれぐらい意味があるのかという疑問も生まれます。20年後のお金の価値を考えながらお金とうまく付き合っていく必要があるのではないかと考えています。
「若いのにすごい」という表現
人を見るときに年齢は基準にならないというお話です。年齢によってできる事できない事っていうのは変化してくるということです。
さらに大切なのは年齢を重ねるとレベルアップするというわけではないことです。例えば20代のすごい人がいたときに、その人は本来30代にできることが20代で出来てるからすごいわけではないということです。
そうではなくて30代には30代にしかできないことがあり、20代には20代にしかできないことがあるというふうに考えた方が良いのではないかと思っています。
これは例えば経験が邪魔をするということがあって、年齢を重ねることによって考え方が凝り固まったりしてうまくいかないというようなことがあるからです。
一般的に若い時にできることっていうのは、体力があるので多少無理をしても頑張れるといったことが言われますが、知力とか思考とか精神的な面でも若い時にしかできないことがあるのです。
中学生にしかできない思考や発想もあるでしょうし、四十代五十代でなければできない思考というのもあると思っています。
もっというと年齢だけではなく個人それぞれができることが違うということも考えなければなりません。年代によってできることが違うように個人個人でもできることがそれぞれ違うということです。
そういう理由で、人を見るときに年齢を基準にすることはできないと考えています。
やる気は出すのではなく湧いてくるもの
やらなければいけないことがあるけどやる気が出ない、というのは学生、社会人問わず共通の悩みです。誤解されているのは、やる気は出そうと思わなくても自然に湧いてくるものだということです。
がんばってやる気を振り絞るのではなくしっかりと休息を取ることでやる気は湧いてきます。やる気が欲しければ休息せよ、ということです。
あらゆることに通じますが、がんばって気力を使ってやることは長続きしません。気力は目に見えませんが、スマホのバッテリと同じく残量が決まっているからです。
その場しのぎでがんばるのではなく、事前のセッティングが重要です。やる気が自然に湧いてくるくらいしっかりと休息をとるように工夫し、休息を確保するために気力を使うのが効果的です。
たとえば誘惑を断ち切ってベッドに行く、というようなことに貴重な気力を使っていくと良いです。
休息の境界をはっきりさせることも必要です。ダラダラしているからといって、必ずしもそれが休息になっているとは限りません。テレビやSNSは無駄な情報を脳にインプットしてかえって疲労蓄積の原因になります。情報量を絞って、何もない静かな時間を過ごすことが休息になります。
自然にやる気が起こってくるくらい、休息を優先的に確保することが重要です。
戦略的先延ばし
先延ばしすることは悪いことだという考えが一般的です。しかし何か悪い決断をしそうになっている時は、先延ばしするというのも一つの戦略として有効なのではないかと考えています。
なぜ先延ばしが良くない理由は、先延ばししているうちにどんどん状況が悪くなっているからです。
そもそもなぜ先延ばししてしまうのかというと、人間の脳が勝手に未来は明るいものだと錯覚するからだそうです。黙って先延ばしにしておけば勝手に状況が良くなるだろうというふうに思ってしまうからです。
そういう訳で先延ばしすると良くないと言われています。ただしそれを逆に利用して、あまりよくない決断、例えば契約を終了するとか何かと別れるというような決断をする時には、一旦先延ばしにしていくということも有効なのではないかと考えています。
今の状況が苦しくてそれをなんとか断ち切りたくてネガティブな決断を急いでしてしまうということはよくあるんですが、そういう時には先延ばししても良いのだという風に考えると心が少し楽になると思います。