自由という名の身分制度

形を変えた身分制度

職業選択の自由、結婚の自由のように自由に選ぶ制度が、かえって地位の固定化につながっているのではないかという疑問があります。

たとえば学歴を基準にした自由な職業選択というシステムを考えます。学歴さえ高ければどんな生まれでも関係なく仕事をすることができるというシステムです。

ところがもし生まれ持ったIQが大きな影響力を持っているとしたらどうでしょうか。一見自由な制度のようでも、実質的には引き継いだ遺伝子によって固定化されています。

これでは自由選択のように見えても、地位が固定化しているのであれば身分制度と大きな違いがないのではないかということです。

形式が自由か封建的かという問題ではなく、地位や序列の流動性が重要なのです。

身分制度は悪なのか

そもそも古い身分制度は本当に悪だったのかという疑問もあります。生まれた家で職業が決まったり結婚相手が決まると聞くと、現代の私たちからすると不自由な気がしますが、本当に不自由に感じていたのでしょうか。

一方、現代の我々は自分の自由選択で職業や人付き合いを決定していますが、何か意思決定をすることが非常に大きなストレスになっている感覚もあります。

もし身分制度のような決められた枠組があって選択の手間が省けるのであれば、選択するための精神力や時間を別のことに振り分けることができたかもしれない、という考え方もできます。

何が正解ということは決められず、答えのない問いが残ります。