物質的モデルをなぜ人間の活動にあてはめてしまうのか
人間の内面の活動をモノを扱うようにとらえてしまいがちなことがあると思います。
勉強
勉強でたとえるなら、人間の頭を箱のようなものだと考えて、その中にポンポンと知識を詰め込んでいくというモデルです。
たくさん詰め込めばその分賢くなるはずで、量をこなしても成果が出ないのはおかしいという考えです。
人間の頭はそこまで簡単なものではありません。記憶することのように、目に見える形にしやすいものに関してはある程度成り立つとしても、もっと広い意味での学習や変容のためには、量だけでなく質や感情といった繊細な内面の活動が必要です。
お金
大きければ大きいほどいいという理屈で、収入や資産の金額が多ければ多いほど幸福だという発想もあります。
実際には、年収300万の現状に満足していない人は年収1000万でも同じように現状に満足しないのではないかと思います。「不満がある」という心のあり方の問題であって、物質的な問題ではないのだと思います。
本能的な思考
たしかに、人間の活動をすべてモノのように考えることができたらラクですし、本能的にそういう発想を選んでしまうのかもしれません。実際にはもっときめ細かな視点が必要で、工夫のしどころなのだと思います。