教えることの不可能さ
職業柄、「どうやって人に教えたらいいのか」という話をされることがあります。他の方が使う分にはまったく気にならないのですが、私自身は普段「教える」という言葉はほとんど使いません。
教えるということは不可能だと思っているからです。
日本語の教えるという言葉は範囲がすごく広いです。数学を教える、秘密を教える、道を教えるというように使います。英語のteachよりも範囲が広いようです。
「教える」の主語は私で、あくまでも自分が表現するところまでが限界です。相手にどう伝わるかとか、どう行動が変わるかはまた別の話です。
自分が「教える」だけで、他人の行動を変えられるというニュアンスも含むとしたら、それは不可能だという意味で「教える」という言葉は使わないことにしています。
可能なことはあくまでも「伝える」ことか「フィードバックする」ことくらいのものだと考えています。
教えることで他人を変えることはできず、本人の自意識を正確にフィードバックすることしかできません。
モノが世界を作っているのではなく、本人が世界を構築するものです。正解は自分の中にしかないのです。
他人に対して積極的にできることは、教えることではなく、鏡のように反射してあげることくらいのものではないでしょうか。