残酷さへの慣れ

悪意もなく、自分がほとんど意識しないうちに残酷さに慣れてしまうことがあります。

例えば第二次大戦で無差別攻撃というものが行われました。軍人ではない一般の市民、たとえば女性子供に対しても攻撃が行われたという史上最悪のできごとです。

この無差別攻撃は極めて異例のことです。それまでの一般的な戦争というのは、軍人同士が攻撃しあうのが一般的でした。もちろん軍人だから許されるというわけでは無いですが、ある種の1つの暗黙のルールとして、武器を持っている者同士だけが戦うという共通認識があったのです。

ですから武器を持たない一般市民に攻撃を加えることは、一つルールを破ったという意味でも非常に残酷で異例のことだったはずです。

それにもかかわらず、戦争全く経験してない我々の感覚からすると、戦争というと罪のない人が殺されるというイメージをしてしまいます。

このように、我々に全く悪い悪気があるわけではないし、もちろん望んでいるわけではないのですが、無差別攻撃が一つの基準になってしまっているという悲しい現実があります。

そういう意味で知らないうちに慣れてしまっているというのは非常に怖いことだなと思います。これに対しては、少しでもいいので知ろうとすることです。知らなくても恥ずかしいことではないので、知ろうとすることです。

何が正解かということも答えが出るわけではありませんし、何も変わらないかもしれません。それでも知ろうとすることが重要なのではないかと考えています。