学習としては良いが教育を阻害するもの

EdTech界隈のツールを見るときの視点としては、学習と教育をどれくらいの距離感でとらえているかに注目しています。教育の中の一部に教科学習が含まれていてだいたいの部分では教育と学習は共通するところが多いです。しかしごく一部には学習にとっては良いことで教育全体で見るとそうではないということもあります。

たとえば効果的な学習ツールについて考えてみます。効率的に学習する仕組みは単純なものだと生徒が間違ったものを反復できるようなシステムであったり、高度なものであれば数十校単位の生徒のデータや機械学習を利用してつまづきやすい部分をデータ化して最適な出題をするようなものもあります。

学習という目的では効率よく学ぶのは良いことですが、生徒が試行錯誤や説明のないままに効率良い方法を与えるだけなのであれば、教育の目的を果たすことができるのか、ということです。少なくとも日本の学習指導要領においては知識・技能の習得に留まっていてはいけない、という重要な方針があります。

ただこれをやっておけばよい、というような正解を与えるのも良いのかもしれませんが、安心して失敗ができる環境を整えることも重要なのではないでしょうか。

EdTechの開発をする人たちは、決して自分たちさえ利益を得ることができれば手段を選ばないというような悪意で活動しているわけではありません。効率のよい学習ツールを、どうしても世の中に出さなければいけないというミッション感や熱意の結晶です。

だからこそ、学習と教育との関係に注目するとより世の中がよくなるツールが生まれるのではないかと思います。