昭和の教育が当たり前ではないということ

学校の建築を取ってみても私たちが普通の学校だと思っている建築も、ごく狭い世界なのだということが実感できます。

円形の学校があったり、大人も通いたくなる素敵な建築の幼稚園などもあります。

【円形校舎物語11】 円形校舎の種類 http://meirin.info/tag/25/

こんな幼稚園に通いたかった! https://matome.naver.jp/odai/2134270698052784201?&page=1&epik=dj0yJnU9dGkzSHpqWktHRnZDanZNaUFqWUkyanlyY3VnWW9tY00mbj1qZTctZGM2ay04U2dPRGgxR1pTaVRBJm09MyZ0PUFBQUFBRjF5T1c4

まだ勉強不足ではありますが、江戸からの学校教育の流れをざっくり確認していきたいと思います。

江戸時代の寺子屋は世界的に見てもレベルの高い教育を実践していました。明治に入ると国の制度としての教育が欧米に倣って行われ、一般の子どもを対象に学校が開かれることとなりました。

全国統一の基準にすることや、教科書を重視するのがはじまったのもこの時代です。この時すでに、表面的な知識に偏っているという批判もあったようです。

大正時代には「新自由教育」というムーブメントがありました。これまでの旧教育を知識注入、軍隊式と批判して、生徒中心の教育を実践していく気運が生まれました。

そして戦時体制に突入し、学校は教育というよりも軍の訓練施設としての様相を呈してきます。

戦後になると戦前の方針をできるだけなぞらないように改革が進められます。人口が急激に増加し教育を受ける人数も増え、ペーパーテストによる評価を充実させていきました。

このような大きなうねりの中で、昭和の教育はごく一部を切り取ったものであり、「昔からこうやっていたから正しい」というような視野の狭い状態にならないように気をつけなければならないと感じました。