主体性のあるゲームとないゲーム

ゲームとひとくくりに言っても、やっている本人の行動をみると主体性のあるものとないものがあると思います。

主体性のないゲームは、継続するハードルが低いものです。自分の意志に関係なく、ゲームの方から次へ次へとアクションを誘導していくものは主体性が低いと言えます。

他方でゲームからは何の誘惑も与えられないものは自分で目標を設定しなければならないという意味で、主体性があると言えます。

たとえばスマホゲームは自分で意識をしなくても次々とミッションが課されていく場合が多いですが、ルービックキューブは「60秒以内に揃える」などと自分で課題を設定しなければなりません。

もちろんどこかに明確な境界があるわけではなく、どちらの要素も混ざっているものです。スマホゲームであっても自分の意志でスキルを高めたいという目標を設定して練習回数を決めてプレイしているうちは主体的なものだと言えます。

同じように夢中になって長い時間ゲームをやっているとしても、主体性という観点で見ると大きく違うように見えてくるかもしれません。