犯罪者を地獄に落とすために法は存在するのか

世の中に懲罰はたくさんありますが、その目的は何なのでしょうか。

周りの人の攻撃欲求を満たすためだけに罰や批判が存在しているように見えることがあります。

悪いことをする人は自分たちとはまったく別の生き物だから抹消しなければならないというのは、感情的な発想だと言えます。

多様性を認めない感性はいじめの心理であり戦争の根源です。

悪者を攻撃するためではなく、法は社会をより良くするために存在するものだと思います。

話してもわからない相手だと諦めて排除するよりも、どうやったらプラスになるのかを考えていくことが重要です。

たとえば犯罪者にもどこか寂しさや満たされない心があって、それを慰めてくれるものがあったら犯罪を起こさずに済むことがあるのではないか、というようなことです。

もちろん対話して100%解決できるとは限りませんが、ほんの小さなきっかけで少しでも前進する方法がないものかを模索していくことに人間の知恵を絞って工夫していけばよいのではないかと思います。

オバマ元大統領の演説に「我々は過ちを犯す遺伝子が組み込まれているわけではない」という趣旨の一文がありました。世の中を良くするために司法が存在するべきで、異物を排除して地獄に落とすためにあるわけではないのではないかと思います。