運命を信じて現状を受け入れる

自分は元々こういう人生を歩む運命だった、という風に世の中は自分の努力では変えることのできないストーリーが決まっているという発想があります。

ある意味では、あながち悪いこととも言い切れないのではないかと思っています。運命だったと考えることで自分にはコントロールできないことには興味を持たず、今の自分にできる範囲内で行動することに集中するための処世術の一つだったのかもしれません。運命というツールを使うことで、一旦いまの自分の状況を納得させることができるからです。

そもそも科学的な思考が支持されてきた近代においては、運命という考え方はどちらかというと前時代的な考え方とされてきました。実際に身分や偏見など、いままで運命だと思って諦めていた人が、運命ではなく個人の能力や意志が人生を決めるのだと信じることでたくさんの画期的な進歩を遂げてきました。

一方で、人生は運命で決まっているのではなく自分で決定することができるという思想は、自分で考えて行動しなければならないということが重荷となっている側面もあります。個人の能力は無限大で、自分の意志によって全て変えることができるのだから、現状に納得できないのは全て自分の努力が足りないからだという考えです。運命という概念を捨てることによって、皮肉にも理想の自分が肥大化し現実とのギャップに悩むという新たな不幸が広まることになりました。

そういった意味で、運命を信じることは現状を受け入れるという意味では生きる知恵の一つなのだと言うこともできます。運命という概念を信じるか信じないか、どちらが正しいということは無いのですから、固く考えず生きやすい方を選べばよいのだと思います。