他人ではないという日本的感覚

ごく普通の日本人的な感覚として、言葉を使って論理的な正しさを追い求めるよりも、まず人間関係を作ってしまってその後は「言わなくてもわかるだろう」という雰囲気でものごとを進めようとする傾向があります。

たとえばビジネスや社内のチームワークにおいても、ロジカルに議論するよりことも飲み会をして他人でない関係を作ってからお互いが前後の文脈を察することで仕事を成り立たせようとします。

一説には、田んぼでお米を作るという文化が協調性を大事にする精神を育んだのだという話があります。田んぼに水を引くとき、誰か1人でも身勝手な行動を取ると全体の利益を失うことになります。そのため飛び抜けた個性よりもみんなで同じことをすることが重要だったのだという説です。

その方法にはいい面もありますが、時にその考えが邪魔になることがあるかもしれません。現代の仕事は田んぼで稲作することとは性質が異なります。

他人ではないのだから何となくの空気で伝わって欲しいというのは、非常に楽な発想です。しかし実際にはどこまでいっても他人は他人なのです。

だからこそコミュニケーションが必要であり、コミュニケーションの基本は他人に伝えるために根拠を示すことからはじまるのではないでしょうか。