イチローはなぜ後悔しないのか

結果にこだわるということに対してなんともいえない違和感を覚えていたのですが、うまく言語化できずにいました。

昨日のイチローの引退会見は色々なことを考えさせられるものでしたが、自己評価ではなく結果という外部評価にこだわることが、後悔を生み出すのではないかという考えが浮かんできました。

成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生む。やってみたいなら挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はでない。

遠くにある結果や目標ではなく、途中の過程で今やっていることに意味があるのか、何度も自分自身で評価することが重要なのではないかと思います。

もしそうではなく、途中の過程を振り返ることなく最後の結果だけにこだわるのならば、結果が良くなかった時にはそれまでやってきたことが全部ダメだったことになり後悔を生むのです。

勉強も同じことです。テストの結果や合格だけを目標にやっていると、もし悪い結果だったときには全てが否定され後悔が残ります。一方勉強する途中で今やっていることに意味があるという充足感を持って自己評価できていれば、もし結果が良くなかった時も自分はがんばってきたという自信を持てます。

結果にこだわるということはうまくいく時はいいですが、そうでないときは後悔と虚無感を生むものなのではないかと思います。