権威ではなく、コミュニケーションによって知識は成り立つ

かつては神の言うことが正しいとされていました。全知全能の存在から、人間が知識を受け取る一方的な情報の流れです。

信仰というのは、信じるから正しいという性質のものです。科学的に正しいということは関係なく、正しいと信じることによって正しくなることであり、これも一つの知識の在り方として認めることはできます。

現代においては神ともなるとさすがに無理があるので「権威」という擬似的な神の立場が使われます。たとえば有名なカリスマ講師という肩書や、塾講師にありがちな威圧的な態度も、権威を示すためにあります。権威を使って知識や情報は一方的に流されていきます。

しかしこれからは権威ではなく、コミュニケーションによって知識が成り立つ時代になっていきます。

たとえば、医者の言ったこととネットで調べた情報に優劣をつけることができなくなっています。場合によっては医者の方が専門知識がありますが、医者も人間なのでネットの情報が間違っているとも一概に決めつけることはできません。

情報が溢れていくにつれ、神や権威による正しさではなく、お互いがコミュニケーションしたうえで納得しているかどうかが知識の正しさを決める要因になってきます。

ただ話を聞いて鵜呑みにするだけで良かった時代から、それがどうして正しいのかという対話をして納得しなければ知識とは呼べない時代になっていきます。これがコミュニケーションから知識が成り立つという仕組みです。