学校や勉強が自己肯定感を下げる道具になっていないか
最近はもっぱら「学校や勉強が自己肯定感を下げていないか」という問題提起したいと考えています。
自己肯定感は無条件
自己肯定感とはあるがままの自分を認められる感覚です。自己肯定感の逆は、今の自分に何かをプラスしたらもっと幸福になれるというないものねだりの思考です。
無条件に、あるがままの自分を認めることによって、リスクのあることにも挑戦する意欲が生まれます。
条件付きのあれこれ
成績が上がれば、学歴が高ければ、年収が多ければ幸せになれるという、「条件付き」の肯定には限界があります。
今の日本はトップレベルの経済力と学力をもっています。ところが幸福度はどうでしょうか。
客観的にはかなり幸福なはずですが、実感としてはとても幸福とは言えないのではないでしょうか。
学校や勉強はどうか
学校や勉強に関しても、あまりにも管理されすぎて選択することができない状況が多い気がしています。管理する側にとって都合のよい、従順さを持つことが学校や勉強の意義だというのは、非常に抵抗を感じます。
他人との比較である成績や、いかに従順に覚えたかというペーパーテストが、自己肯定感を下げるための道具になっているのではないかと思います。