「見る」という先生の仕事

指導する側の重要な仕事として「見る」ということが挙げられると思います。

見過ごされがちな指導法

問題にマルバツをつけたり、点数をつけることに偏った考えをしていると、「見る」という形の見えない指導は軽視されがちです。

形にならない、勉強における「感じ方」や「考え方」など、ペーパーテストでは気づきにくいことも評価していくべきだと考えています。

評価として

「見る」ことを重視すると、ペーパーテストによらない方法での評価も可能です。

たとえば計算の途中を見ることで、生徒がどのように思考したかがわかります。答えは違っていたが思考の段階はよくできている、などという生徒にポジティブな影響を与える評価をすることができます。

現在の学校教育でも「見取り」という言葉は広く使われていて、その重要性が説かれています。

見られるということ

学習すること自体は参考書や映像があればできますが、「見てもらえている」という承認欲求に働きかけるには生身の人間が関わるべきではないかと思っています。

生徒の自己評価やメタ認知を促す意味でも、しっかり生徒を見て適切な問いを立てることは重要です。

テクノロジーの可能性

「見る」ことに関しては、テクノロジーが大いに活用される余地があると思っています。

たとえば今まで先生が机を回って見ることしかできなかったものが、タブレットの画面共有を使って先生がモニタで一覧できるというような、細かい見方ができる可能性があります。

軽視されがちな「見る」という仕事は非常に重要だと考えています。