答えを教えると考えなくなる

質問は「共通な問い」としてとらえて、協働して答えらしきものを探していくのが良いという記事を書きました。

質問する役と答える役が分離してしまうのは良くない、という点について少し考えてみます。

答えるのは調査代行

人は教えると考えなくなる、という言葉があります。

「答える」というと響きはいいのですが、自分で調べずに誰かに肩代わりさせているという可能性もあります。

調べるためにはある程度のコスト(時間的、心理的)が必要になります。ある程度は自分がそのコスト負担をするべきですが、あまりにも非効率な場合に限っては教えてもらうことも必要です。

たとえば多くの時間をかけた経験からしか得られない知識などは、質問して答えてもらうことも有効かもしれません。

しかし実際世の中にある質問の多くは調べたらわかるものが多いです。特に学校の勉強という範囲の限られたものに関しては、調べてたらわかるものがほとんどではないかと思っています。

正解よりも、そこに至るまでの考える過程を大切にする場合、正解を教わるよりも、調べる能力を高めることの方が優先順位が高くなるでしょう。