マルバツ思考

二者択一で判断する思考(バイナリ思考)はやめるべきだという主張があります。ロボットやコンピュータに取って代わられるものだからだという主張があります。

勉強にとってはマルバツがつくのはごく当然のことで、それなしには考えられませんが、もしなくすとしたらどうなるでしょうか。

勉強からマルバツ思考をなくす

絶対にマルバツをつけてはいけない、とまでは言いませんが、たしかにマルバツで評価することの弊害を感じることも多いです。

つまり、考える方法ではなく、マルが付く方法を学ぶようになってしまうことがあるということです。たとえば宿題のワークを答えだけ写すような行動です。

将来向き合わなければならないのは正解のない問いです。正解を求めることではなく、どうしたら納得解にたどりつくかを考える力の方が圧倒的に重要です。

マルかバツかではなく、いくつかの段階で評価するのが良さそうに思います。そうなると一問一答形式の問題ではなく、必然的にエッセイ形式の文章問題になってくるでしょう。

その際は評価されるポイントが明確になっている必要があります。具体的にはルーブリック評価などが用いられることが予想されます。

マルバツをなくすと

一方で、マルバツをつけないということに対しては批判があると思います。たとえば結果が出ないのであれば適当にやる人が増えるのではないかという批判が想像できます。

しかし、実際に行われているテストの選択問題では、実力で正解したものより、ラッキーで正解した時の方がインパクトがあるのではないかという印象を受けます。

生徒がテスト後に報告してくるのは「運頼みでやってたら合ってたんですよ!」ということも多いです。もちろんこれは生徒が純粋な気持ちで感想を述べているのであって、不真面目だとは全く思いません。

システムとしては、マルが良くてバツは駄目という発想だけが独り歩きして、本来の思考するという目的を果たしていません。

短絡思考としてのマルバツ

指導者側も、生徒側も「考えなくていい」という便利さからマルバツや点数で評価するシステムを支持しているように見受けられます。

マルバツを採用するかしないかに関係なく、思考をしっかり評価できるかを重視するべきだと考えます。そのためには膨大なコストが必要で、惜しみなく注力すべきポイントだということは間違いないのではないでしょうか。