マズいと思いつつ解決しないこと
問題があるとわかっていながらも、現時点で解決策が進められていないことは、もしかすると解決しなくてもいいことなのかもしれません。
もちろん問題があるのであれば解決した方が良いのは間違いありません。
ただ、本当に深刻で一刻をも争うような問題であれば、解決に向けてどんどん施策が実行されているはずだと考えることもできます。
命に関わるような緊急の問題はすでに着手されているということです。
たとえば、日本は英語教育が進まないという意見があります。
これはもう何十年も言い続けられていることです。
外国でビジネスせざるを得ない国は英語教育が進んでいます。
否が応でもスキルを磨かざるを得ないからです。
そういう意味では、日本は英語がなくても致命的ではないのではないかという考えもできます。
そうだとすると、ICT化が進まないとか、政治が良くないということも同じように考えることができます。
革新的なことを進めなくても、何とか世の中が安定して回っているということを示しているように見えます。
ビジネスにおいては、全く新しいビジネスソリューションが本当に求められているのかを検討する必要があると考えています。
革新的で前例がないビジネスは、問題意識を持っているものの今まで真剣に解決しようと思われていなかったことで、解決しなくても緊急で困ることはないという可能性があります。
本当に新しいビジネスが必要なのか、慎重に見極める必要があります。
ということで、今日は現在解決されていない課題はもしかすると解決しなくてもいいのかもしれないというお話でした。
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5分くらい話して、それを音声入力で文章に書き起こすということを一週間続けてみました。
改めて感じたのはアウトラインの重要性です。
本でいう目次のような、内容を端的に表現したものをアウトラインと呼んでいます。
5分話す時にはあらかじめアウトラインをしっかり作り込むことが重要だと感じました。
逆に、細かい一字一句にはこだわらない方が結果的にうまくいくことにも気づきました。
アウトラインを作成することに時間をたっぷり使っていいのだというのが感想です。
時間をかけて頭をフル回転させてアウトラインを作成することが重要です。
細かい文章や話し方の細部に頭を使っても堅苦しくなる一方なので、そういう部分に使う時間はもったいないとさえ感じています。
なぜ重要かというと、アウトライン化することで論理展開が見えるからです。
たとえば概要、詳細、根拠、具体例、注意、まとめのような大きな論理の流れをしっかり把握していれば、いきなり話しはじめたとしてもさほどズレた話にはなりません。
むしろリアリティのある話し方ができて相手に伝わりやすくなります。
アウトラインが作成できたら、あとは細かいことを意識せず感覚にまかせて話し始めればよいのです。
完璧主義を捨て、一文一語を言い漏らしたからといって気にせずに話した方が効果的です。
ということで、今日はまずアウトラインに力をいれることに集中しようというお話でした。
テストの点数を取るには反復
今日はテストの成績を上げたい時は反復をするという方法が有効だというお話をしたいと思います。
何で反復が有効かと言うと、ペーパーテストというのはパターン暗記されることが一番の弱点だからです。
どういうことかというと、ペーパーテストの問題は正答率を一つの基準にして作られます。
正答率というのはみんなが解けない苦手なパターンの問題が選ばれるような仕組みになっています。
ですからペーパーテスト側の立場からすると、みんなが苦手なパターンを暗記されるのが一番困るということになります。
ただここで注意しておきたいのは、勉強全体で考えたらペーパーテストを解くというのは、勉強の全てではないということです。
問題を解くだけが勉強ではありません。
本を読んだりインプットするそれも大切な勉強であって、ペーパーテストというのはあくまでも評価の一つの形でしかないということに注意する必要があります。
反復を増やすという話に戻ると、どういう勉強法がいいのか迷った時は反復回数を増やす勉強法が良いと思います。
この反復を増やすという原則さえ守っていれば、細い方法は比較的なんでもいいです。
ネットや本でいろんな方法が紹介されていますのが、どの方法が良い悪いではなく、反復を増やすという原則に則っていればその勉強をやってみると良いです。
例えば単語カードを作ってそれを繰り返し解いたり見たりする方法でもいいですし、同じワークの問題を3周解くということもよく言われています。
実際に塾の指導で、とにかくワークを3周解きなさいというシンプルな指導方法で運営している塾もたくさんあります。
重要なことは反復をすることです。
ただ反復するだけではダメで、理解も大切なのではないかという意見もあります。
もちろん理解が大切な場合も存在しますが、基本的にはほとんどの人が反復する回数が不足しています。
これは実際に生徒を見ていて反復が少ないなと足りないなという感覚を持つことが多いからです。
それにプラスして、理解と反復は必ずしも別物ではないということもあります。
反復することによって次第に体で覚えていくとか、反復を通して理解していくということもあります。
ですから理解は大切なことでもあるんですが、何よりも先にやるのは反復だと言えると思います。
ということで今日はペーパーテストの点数を取りたいのであればとにかく反復の原理を大切にしようというお話でした。
人間界は弱肉強食なのか
つい弱肉強食という言葉を都合よく使ってしまったな、と思うことがあります。
都合の良い時にだけ弱肉強食という思考を持ち出すことのないように気をつけなければと感じました。
たとえば能力の低い人間は収入の少ない仕事にしか就けないのも仕方ないとか、そういった思考です。
自然の摂理であるから仕方ないように捉えられますが、実は暴力的な思考であることを理解する必要があります。
どれだけ説得力のある言葉であっても、力の強いものが弱いものをねじふせることに変わりはないからです。
なぜなら人間界に弱肉強食の原理を適用するのは少し無理があるからです。
まず、人間は飢えていないからです。
弱いものを食べなければいけないほど飢えてはいないのです。
動物界であれば、弱いものを殺して食べなければ生命を維持することができません。
それだけの強い理由があるということです。
次に、動物の場合、弱肉強食といっても違う種同士の闘いだということです。
違う種を食べますが、これもある意味同じ種が繁栄するためです。
人間同士の弱肉強食で潰し合いをすることはあまり意味がありません。
そして何よりも、弱肉強食の枠組みで生きなければいけないほど我々は切羽つまっていないということです。
いま日本人は基本的に生命の危険を感じずに、安定した生活を送っています。
弱者に手を差し伸べるだけの余裕を誰もが持っているはずです。
弱肉強食という思考は余裕のない、ある意味ではかっこわるい思考なのかもしれないと最近気づきました。
軽い気持ちで使ってしまいがちな弱肉強食という言葉ですが、少し思いとどまってみた方がよいのかもしれません。
ストレスを減らすことを努力と呼ぶ
今日は何を努力と呼ぶのかというお話です。結論からいうと、何かを楽に続けられるように工夫することを努力と呼ぶのだと考えています。
なんとなく努力というと苦しいようなイメージがありますが、ただ苦しんでいればいいというわけではなくて、何かを継続していくことはすべてを上回るわけですから、まずどうやって継続していくかということだと考えています。
その時にできるだけストレスは少なくすることが重要で、その仕組みをセッティングすることに力を使うべきだと思います。
ですからストレスをなくすことを努力と呼ぶといいのではないかと考えています。
ストレスを減らす工夫の一つはたとえば習慣化です。 家に入る時に靴を脱ぐとか歯磨きをするようなことは習慣になっているので、毎日やってもさほど苦にはなりません。
同じように勉強でもスポーツでも習慣化していくとストレスなく続けられます。
いかに続けられるかという点に力を入れることが大切だと思っています。
勉強であれば家ではなく自習室に行くとか図書館に行くとか、勉強する場所にはスマホを持って行かないという行動を習慣化すると良いです。
その習慣をつけるために力を使うということです。
反対に、苦しいだけのことを努力という呼ばないようにするという気持ちも必要かなと思っています。
いかに続けられるか、ここに頭を使うべきでそういうことを考えずにただ苦しいからやってみるみたいなこうどうを努力とは呼ばないという気持ちです。
ある意味では、考えるのをやめて苦しい方に選ぶ苦しい方を選ぶのは逃げと言えるかもしれません。
たとえば昔うさぎ跳びというトレーニングがありましたが、苦しいですが実際にスポーツ科学的な効果はそんなにないというようなことです。
同じようなことが他の事でも言えます。
ということで、今日はストレスを減らして長く継続するために仕組みをそういう仕組みを作ることが努力なのだというお話でした。
ビジョンでものを買う
色々な価値観が変わっていく中で、買い物の仕方も変わってくると考えています。 お金へのこだわりというのが減っていく状況を見て特にそう思います。 お金にあまりこだわらないようになっていくと、買い物するときの基準も変わっていくと考えられます。
これまで我々はどういう風な基準で買い物していたかというと「コストパフォーマンス」ということを非常に気にしていました。 つまり金額と物のクオリティを比較して妥当かどうかということを考えるという発想です。 ですからこのクオリティにしては安いとか、このクオリティにしてはちょっと高いみたいな基準で買うか買わないかを判断していました。 コストパフォーマンスの発想は、根本的には安ければ安いほどよく、質の高いものをできるだけ安く買うという基準でした。
ただ、これからは少し価値観も変わってくると思っています。 どういうふうに変わるかと言うと、ビジョンを基準に買い物するという風に変わってくると思います。 商品に対するビジョンだとか、作ってる会社のビジョンに自分が共感できるかという基準で買い物するように変化していくと考えています。
お金へのこだわりがどんどん下がっていくこととも関連していますが、金額が高い低いではなく、ビジョンに共感できるかどうかが買い物するときの基準になっていくというふうに私は考えています。
例えば私は無印良品のものよく買うんですが、無印良品には「これでいい」というコンセプトがあります。 どういうことかというと、「これがいい」ではなくて「これでいい」というものを作るというコンセプトです。 なぜ「これでいい」というある意味では妥協のようなそういうコンセプトになっているかというと、「これがいい」という発想で買い物をしていくといろんな競争とか奪い合いに巻き込まれてしまうからです。
例えば毛皮とか象牙とかのように希少性が高いものがそうなのですが、「これがいい」という欲望に任せていたらどんどん奪い合いをしていろんなものを破壊する方向に向かっていきます。 自然環境であったり動物の生命であったりそういうものを破壊していくことにつながりかねないのです。 「これがいい」という欲望のままに買うことは、どこかで歯止めをかけなければいけないという発想です。 ですから無印良品は「これでいい」という考えのもとサスティナブルな商品を作って妥当な価格で売っていくという方針で商品が作られています。
一つ注目すべきなのは、無印良品の商品は安さが魅力というわけではないということです。 コストパフォーマンスという発想だとあまり効率の良い商品ではないかもしれません。 ただ、無駄がないすっきりした「これでいい」というデザインの思想に共感して買います。
ビジョンを基準にして買い物をすることのメリットは、満足感が高いということです。 どういうことかというと、金額とかクオリティとかそういう客観的なものではなく自分で納得できているかどうか基準になっているので、当然満足感が高くなるということです。 さらに、ちょっと割高かなという金額であっても自分がビジョンに納得しているのであればさほど不満は感じないものです。 むしろ商品でなく共感できるビジョンを買っているという精神的な安心感があり満足感が高いのです。
ということで、今日は買い物をするときの基準は自分がビジョンに共感できるかで買い物をすると楽しく生活できるという話でした。
強制は相手へのあきらめ
相手に何かを強制すること、あるいは正解を先回りして教えることは相手のことをあきらめている気持ちからくるというお話です。
私自身も塾で指導していた時に生徒に対して強制するような関わり方をしていた時期もありました。 今考えれば非常に良くなかったと思っています。
こういうやり方が正しいとかこちらがたくさん情報やノウハウを持っているから指示に従わせるような形で強制するようなやり方をしていた時にもありましたが、今考えると改めて良くないなと思います。
そういう関わり方をした生徒がどうなるかというと、言われたことしかやらなくなります。 言われたことはきっちりやるけれども、言われていないことはやらなくていいんだ、という発想が染み付いていきます。 何かを強制するということは、他のことはやらなくていいと言っているのと同じになってしまう効果があるので、あまり良くないなと今は思っています。
どういう時に強制したり管理したりしようとするのか思い出してみると、その相手の持っている能力を諦めた時に強制しよう管理しようという発想が出てくるんだと思います。
相手にかける期待、これぐらやってもらいたいなというその期待が崩れた時に強制したり管理したりする方向に向かっていきます。 相手には最後まであきらめるなというようなことを言いながらも、自分自身が相手に対してあきらめてしまっているという矛盾を抱えているのです。
ですから大切なことはこちらもあきらめずに見守り続けるということです。 正解を教えたり先回りしたりすることは相手を信頼していないということと同じですから、関わり方としてはこちらがまずあきらめないという姿勢が重要です。 相手にしっかり期待をして信頼関係を作って見守っていくという対応が必要だと思っています。
今日は、相手に強制をするというのは相手へのあきらめであり、見守ることは自分も相手もあきらめないということだ、というお話でした。