フィードバックは感想文ではなく観察記録である

フィードバックという言葉自体がいろいろな解釈をされて使われています。極端に言えば、フィードバックとは観察記録のようなものだといえます。

話すことに夢中にならない

塾講師含め多くの教える立場の人が陥りがちなことですが、フィードバックにおいても「話す」ことに力を入れがちです。しかし「話す」ことよりも「見る」「聞く」ということの方が重要です。いかにバイアスの少ない状態で見るか、もしくはバイアスを自己認識した上でそれを言語化できるかというのがポイントです。

どうやってフィードバックしたらよいか

自分の感想を述べるのではなく、相手が何をしているかをじっくり観察して伝えることが質の高いフィードバックです。

感想文と観察記録の違いのたとえとして、夏休みにアサガオを育てるとします。「早く育って欲しい」「どんなきれいな花が咲くのだろう」というのは感想文です。「一日で3センチ伸びた」「水やりは毎日やっている」というのは観察記録です。

人間に置き換えると、あなたはこういうことをしたという冷静な観察を言語でフィードバックすることで、相手は起こったことを事実として認識することができます。

見た目は鏡で見ることができますが、考えや心は鏡に映すことができません。観察記録だという気持ちで相手にフィードバックを与えると良いと思います。

フィードバックする側の「こうあるべき」という願望や、自分の方が情報を持っているというマウンティングとは分離しなければなりません

そういう意味で、フィードバックを感想文にせず、観察記録だと考えて相手に伝えることが重要だといえます。