なぜ教育に物質的なものを求めるのか

日本と欧米のモンスターペアレントの違いとして、日本では「なんでみんなと同じように扱ってくれないのか」というのに対して、欧米では「なんでもっと子どもの個性を活かしてくれないのか」という苦情が多いという話があります。

日本がダメというわけではなく、この違いは何なのかがとても興味深いものだと感じました。

物質的なもの

学校や塾を選ぶ時にも「どういうコースがあるか」「どういう指導法か」「宿題や模試がどうか」といった、いかにしっかりした学校・塾なのかという点に注目される人が多いようです。生徒自身の内面の個性について語るよりも、外部の物質的な要素の方が口に出しやすい雰囲気はたしかにあるかもしれません。

しかし、これは箱にモノを詰めていくように、人間を機械のように扱う思想に陥りがちです。

同じであること

なぜ人をモノのように扱うのかと考えると、日本では個性よりも人間として均質であることが重要視されていたからかもしれません。みんなで足並みをそろえて、人間として良くも悪くもみんな同じであるという前提に立てば、あとは物質的なことにこだわる以外にないからです。

ただし、これからの時代はどうなるかわかりません。早くて安い均質なものは売れなくなり、より細分化した個性のあるものに価値が置かれるようになってきました。

教育においても、人間を物質的に扱う習慣から脱するべきだと思います。