テストと学力の不一致

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求められる能力を測るのがテスト

求められる能力を設定して、その基準を満たしているか調べるのがテストの役割です。定義された「学力」をもれなく測ることができるテストを作成すべきです。つまり学力とテストの内容はできるだけ一致しているべきです。

テストで評価されるものを学力と呼んでいる現状

ところが今の日本では求められる学力とテストの内容が一致していないように見えます。

具体的には、ペーパーテストに過度に傾いているように感じられます。ペーパーテストで評価できるのは主に知識です。もちろん知識を蓄えることも、重要な勉強の一つではあります。知識の蓄積は重要で、丸暗記すべき場面も多々あります。

ただ、今のペーパーテストではあまりにも知識の評価される比重が重すぎると思うのです。教員がつける評価である通信簿は年間3回、対して定期テストや模試を含めると年間10回はテストをしています。評価基準をテストの成績だけに頼っているため、保護者も生徒も先生も知識を持つことが学力だと考えているのではないでしょうか。

このようにして、テストで評価されるものだけを学力と呼ぶようになるという逆転現象が起こります。学力を測るためのテストであるはずなのに、テストの成績にならないものは学力ではないと捉えられてしまうのです。

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テストと学力の不一致

テストで評価されない学力

テストで評価されない学力の例として、主体性という能力があります。主体性というのは、自分でどう課題を解決するかを組み立てていくことです。

「この単元が苦手だからワークを使って問題を解いてみよう」と考えることは、学習のプロセスの一つとして評価できる姿勢です。この主体性を評価することがペーパーテストではできていないと思うのです。しかしこういった能力は将来生きていく上でも役に立つスキル、求められる学力ではないでしょうか。

テストを語る前に学力を語ろう

何をもって学力と呼ぶのか、しっかりと議論されるべきです。さきほどは主体性を評価すると述べましたが、何を学力と呼ぶかは時代や場所によって変わります。少なくとも、ペーパーテストで評価される知識よりも、求められている学力の範囲はもっと広いはずです。